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薄景子 15年2月7日放送

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名前のはなし デール・カーネギー

たとえば、一度しか会ったことがないのに
自分の名前をしっかりおぼえてくれていた人。

たとえば、毎日交わす挨拶のまえに、
いつも自分の名前を呼んでくれる人。

そんな人に出逢うたび、
胸のあたりが、ぽっとあたたかくなるのはなぜだろう。

アメリカの作家、デール・カーネギーは言う。

 名前は、当人にとって、
 最も大切なひびきをもつ言葉である。

自分の名前はこの世で一番最初のプレゼント。
そのひびきは、人生とともに
世界でいちばん愛しい音になっていく。

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薄景子 15年1月25日放送

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bhollar
はじまりのはなし ジュール・ルナール

フランスの作家、ジュール・ルナールは言った。

 毎朝、目を覚ますたびに
 お前はこう言ってもいいだろう。
 体が動く。気分も悪くない。
 ありがたい。人生は美しい。

1日のはじまりに、
きょう目覚められたことに感謝する。
ただそれだけで、
その1日が、かげかえのないものになる。

「目覚め」は、きょうも生きている
という奇跡なのだ。

さあ、あなたも
素晴らしい1日のはじまりを。

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薄景子 15年1月25日放送

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andrewmalone
はじまりのはなし 辻井伸行

全盲の天才ピアニスト、辻井伸行。
その才能に母親が気づいたのは、彼が2歳のとき。
夕食をつくりながら母が口ずさんでいた歌を
2歳の辻井はおもちゃのピアノで奏でてみせた。

やがて才能をどんどん開花させ、様々なピアノコンクールで優勝。
2009年ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールでは、
日本人史上初優勝という快挙を果たす。

ここまで美しいメロディーを、なぜ奏でられるのか、
辻井はあるインタビューでこう答えたという。

 がんばってくださいとピアノに言って気持ちを込めると
 すごく美しい音がでます。

曲のはじまりにこめるピアノへの想い、
その感性の美しさこそが、天才の原点。

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薄景子 14年12月21日放送

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クリスマスのはなし シークレットサンタ

アメリカでクリスマスになると
貧しい人に現金をプレゼントし続けた伝説の男がいる。

「シークレットサンタ」
そう呼ばれた彼の名は、ラリー・スチュワート。
20代で設立した会社が倒産、
無一文で入ったレストランで食事をし、
財布を探すフリをしていると、店主がラリーにこう言った。
「20ドルを落としましたよ」
ラリーはその20ドル札で
そそくさと支払いを済ませて逃げるように帰った。

店主のはからいに気がついたのは4年後のこと。
その後も会社の設立、倒産を重ねていたラリーが、
自暴自棄になって銀行強盗を働こうとした瞬間だ。
ふと目に入った20ドル札を見て我に返ったラリーは
再びあのレストランを訪れる。
店主はラリーにこう言ったという。

 クリスマスは、みんながハッピーになれるんだよ

それから、ラリーはひたむきに働き、
シークレットサンタとして貧しい人々にお金をプレゼントし続け、
その生涯で1億8000万円もの現金を配ったという。

彼が立ち上げたシークレットサンタ協会の会員資格はただひとつ。

少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。

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薄景子 14年12月21日放送

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[puamelia]
クリスマスのはなし オーレン・アーノルド

クリスマスが近づくと、
街はプレゼント選びでさまよう大人たちであふれかえる。
大切な人が目を輝かせて喜ぶ一瞬を想像して
想いをあれこれめぐらせているあなたに。
アメリカの作家、オーレン・アーノルドの
ことばのプレゼントを贈ります。

 クリスマスプレゼントの提案
 敵には許しを
 競争相手には寛大さを
 友には自分の心を
 顧客にはサービスを
 すべての人に慈悲を
 すべての子どもに良き手本を
 そして自分自身には尊敬の念を

もうすぐクリスマス。
あなたの心と、この世界に
愛が満ちあふれますように。

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薄景子 14年11月30日放送

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美味のはなし フェイエルバッハ

19世紀のドイツの哲学者、フェイエルバッハは言った。

 人間とは、その人の食べたものである。

なるほど。
1日3食、365日で1095食。
何を食べるか、どこで食べるか、
誰とどんな会話をして食べるかで
身体も、心も、そして命もちがうものになる。
60兆の細胞は、
そんな食の記憶のアルバムなのかもしれない。

さて、きょうは何をいただこう。

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薄景子 14年11月30日放送

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美味のはなし 村上信夫と田中健一郎

帝国ホテルの総料理長、田中健一郎。
子どもの頃、帝国ホテルの元総料理長であった
村上信夫の料理番組を見てハンバーグをつくり、
家族がよろこぶ姿をみて、
料理は人を幸せにするものだと知った。

田中は高校卒業後、迷わず帝国ホテルに入社。
40代にして、30人抜きで、総料理長村上の後継者となり
反発や逆境を乗り越えながら、
400人の部下ひとりひとりに声をかけて引っ張った。

あるとき田中は村上からこう質問される。
「一番美味しかった料理は何か」
答えに戸惑う田中に、村上はこう言ったという。

「一番美味しい料理は、お母さんの料理だよ。
 本当に美味しいものを食べさせてあげようという愛情がこもっているから。」

料理は人を幸せにするもの。
田中が幼いころに目覚めたその歓びは、
今もひと皿ひと皿に大切にこめられている。

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薄景子 14年10月12日放送

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陶芸のはなし 濱田庄司

20世紀を代表する陶芸家、濱田庄司。
イギリスで陶芸をはじめ、沖縄で学び、
益子で40年以上に渡って、陶芸人生を送った。

益子の土は粗く、焼き物に最適とはいえなかったが
それを知った上で、濱田は窯を築いた。

薪は近所の山から調達。
うわぐすりの原料は隣村から出る石材の粉末。
鉄粉は鍛冶屋のくずを使い、銅粉は古い鍋からとる。
筆は飼犬の毛を生かして自らつくった。

濱田は言う。

 私はいい土を使って原料負けがしたものより、
 性に合った原料を生かしきった仕事がしたい。

芸術といわれる器は、
つくった人間の器をうつしだす。

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薄景子 14年10月12日放送

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陶芸のはなし 北大路魯山人

近代陶芸を代表する芸術家、北大路魯山人。
その焼きものは、彼の食道楽から生まれたという。
料理を盛る器について、魯山人はこう語る。

 古いものでは上等すぎる。
 新しいものでは可哀想すぎる。

何百年もの時を経た名作では
自分の料理には重厚すぎ、
現代作家のものではしっくりこない。
自分の料理を盛る器がないことが、
自ら陶芸をはじめるきっかけとなった。

魯山人の器は、そのものだけを見ると
何か物足りない印象を受けるものもあった。
それは主役の料理の分だけ差し引いて作る、
魯山人の美学だったのだ。

使うことではじめて完成する芸術。
魯山人の器は、今日も料理が盛られるたび、
新しい作品に生まれ変わっている。

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薄景子 14年9月28日放送

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日本の「食」 道場六三郎

料理人、道場六三郎。
和食でありながら
西洋料理や中華の食材を取り入れ
日本の料理人ブームの先駆けとなる。

80歳を超えても伝統と新しい味に
挑戦しつづける道場はこう言い切る。

 素材に国境はない。

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