phobus
山内溥と宮本茂
カリスマ経営者といえば
社内で怖れられていそうだが、
任天堂元社長・山内溥は
社員たちにとても愛されていた。
スーパーマリオの生みの親である宮本茂も
「皆、社長の喜ぶ顔が見たくてやっている」
と語っている。
山内の思いは、言葉にしなくても
社員に伝わっていたのだろう。
ゲームは、誰かを喜ばせるためにあるのだと。
phobus
山内溥と宮本茂
カリスマ経営者といえば
社内で怖れられていそうだが、
任天堂元社長・山内溥は
社員たちにとても愛されていた。
スーパーマリオの生みの親である宮本茂も
「皆、社長の喜ぶ顔が見たくてやっている」
と語っている。
山内の思いは、言葉にしなくても
社員に伝わっていたのだろう。
ゲームは、誰かを喜ばせるためにあるのだと。
山内溥と3D
「飛び出さへんのか?」
任天堂元社長の山内溥は3Dにこだわりつづけた。
部下に対してことあるごとに
「3Dはどうや?」と提案していたという。
花札・トランプメーカーの家業を継いでから
おもちゃメーカー、そしてゲームメーカーへと
任天堂を変貌させてきた山内。
どんな商品も必ず飽きられる宿命だとよく知っていた彼には、
驚きがもっとも大切だという信念があったのだ。
「常識的な発想では人々を納得させることはできない。
新製品に必要なのは、社会通念や習慣を
変えるようなものでなければならない。
そのためには非常識の発想が必要なんです」
非常識だからこそ、山内は3Dにトライしつづけた。
彼の言葉を補うとすれば、つまりこういうことだろう。
「常識の枠から飛び出さへんのか?」
A lover of dogs – 徳川綱吉
戌年生まれ。しかも戌の月、戌の日の生まれ。
まさに犬を愛する運命だったのだろう。
やがて彼は狆(ちん)を100匹も飼うほどの愛犬家になった。
さらに彼は野犬を保護するため
「犬屋敷」と呼ばれる巨大な犬小屋を建てた。
現在の中野区役所を中心に、その広さは30万坪にも及んだといわれる。
収容された犬は11万頭。犬10匹あたりの餌として
毎日白米3升、味噌500匁、干し鰯1升を与えさせた。
人々は彼のことを「犬公方」と呼んで揶揄した。
日本史上最も有名な愛犬家。徳川5代将軍・綱吉である。
彼が1685年に発布した「生類憐れみの令」は、
民衆を苦しめた悪法というのが定説。
しかし現在、綱吉の政治を再評価する向きもあるそうだ。
じつは「生類憐れみの令」が保護したのは犬だけではなく、
その対象は猫や鳥、魚類・貝類・虫類などの生き物、
さらには人間の幼児や老人にまで及んでいた。
戦国時代からまださほど時間の経っていない江戸時代初期。
命を軽視する暴力的な風潮が根強く残っていた当時、
「生類憐れみの令」の狙いとは
命を尊重する平和な世の中をつくることだったというのだ。
動物愛護。ペットの登録。捨て子の禁止。高齢者のための福祉サービス。
そういえば、いまではすべて当たりまえのことだ。
この愛犬家は、少しばかり生まれるのが早すぎたのかもしれない。
伊能忠敬とウォーキング健康法
全国をめぐり、日本地図をつくった伊能忠敬。
彼が日本各地を歩いて測量したのは
55歳から71歳にかけて。
すでに高齢だった忠敬にとっては
かなりきつい行程であったらしく、
家族に宛てた手紙で何度も苦労を伝えている。
そのため卵で栄養を取るようにするなど、
日々の食事にも相当気を使っていたようだ。
けれど彼のいちばんの健康法といえば、
やはり全国行脚という
ウォーキングだったのではなかろうか。
享年73歳。
まさに人生という長い道のりを歩き切った。
sizima
千利休と大豆健康法
茶道を大成させた千利休。
お茶を飲むことも健康に良さそうだが、
彼はさらに大豆をすりつぶして作った
「呉汁」をよく飲んでいたという。
しかし利休の命を奪ったのは病気ではなく
時の権力者・秀吉との確執。
切腹を命じられたのは、69歳のことだった。
伊達政宗と水健康法
東北の独眼竜として知られる武将、伊達政宗。
彼が生きたのは戦が続き、
いつ命を落としても不思議ではないような時代。
しかも幼い頃に病気で片目を失った彼が
健康の大切さを身にしみて感じていたことは想像に難くない。
残された記録によれば、
正宗はいくつもの健康法を実践していたらしい。
そのひとつが、「水分補給」。
つねに大きな茶碗を手元に置き、
こまめに水を飲むようにしていたという。
確かに現在から見ても理にかなった健康法だ。
さらに「行水」の習慣もあった。
冬の厳しい東北にもかかわらず、
正宗は四季を通して朝の水浴びをしたという。
こんな健康法が効いたのかどうか。
天下取りの夢は果たせなかったが、
政宗は戦国の世を最後まで生き抜いた。
noodlepie
ジョン・フルスティックとエドワード・グリーン
エドワード・グリーン。
今でこそイギリス靴の最高峰ブランドだが、
30年ほど前は
多額の負債を抱えて廃業寸前にあった。
その負債を肩代わりして
会社をわずか1ポンドで買い上げたのが
ジョン・フルスティックというシューデザイナー。
彼の改革は、1ポンドからの劇的な再生を実現した。
変化をおそれない一歩が、
廃れかけた伝統を伝説に変えたのだ。
マイケル・ジャクソンのローファー
1983年、『ビリー・ジーン』で
華麗なムーンウォークを披露したマイケル・ジャクソン。
世界が驚き注目したその足元には、
黒いローファーがあった。
紐もなく、着脱しやすいことから、
「怠け者」という意味で
名付けられたローファー。
その靴底を、
マイケルはダンスのために
なめらかに削って愛用していた。
もちろん靴の工夫だけで
すぐれたパフォーマンスはできない。
マイケルは公演の滞在先でも
ホテルの床にマットを敷き、
ダンスの練習を欠かさなかったという。
ローファーを履いたキング・オブ・ポップは、
決して「怠け者」ではなかった。
ヘンリー五世と靴の聖人
キリスト教にはさまざまな聖人がいるが、
そのなかに「靴を司る」聖人がいる。
聖クリスピンと聖クリスピニアンという双子の兄弟で、
靴づくりをしながらキリストの教えを広めていた。
だから靴づくりの街イギリス・ノーザンプトンでは
聖クリスピンの祝日は、特別な日だ。
だが聖クリスピンの名をいちばん有名にしたのは、
シェークスピアの『ヘンリー五世』だろう。
フランスとの戦いを前に
イギリス国王ヘンリー五世が行った
「聖クリスピンの祝日の演説」は、
さまざまな小説や映画でも引用されている。
長い遠征に疲れ切った兵士たち。
対するフランス軍の兵力は3倍。
それでも王はこう呼びかける。
今日はクリスピンの祝日だ。
きょうを生き延びて無事に祖国へ帰れた者は、
この日が話題になるたびに自分を誇らしく思うだろう。
そして安らかな老後を迎えられた者は、
前夜祭のたび人々に言うだろう。
「明日は聖クリスピンだ!」
そして袖をまくって古傷を見せながら言うのだ。
「この傷は、聖クリスピンの日に受けたものだ」と。
この演説を聞いた兵士たちは奮い立ち、
イギリス軍は劣勢を跳ね返して勝利を収めた。
あなたがもし困難に立ち向かうときは、
靴を見て思い出すといい。
あなたの拠って立つ場所は、
自分自身の足なのだということを。
徳川家康
意外に知られていないが、
富士山の山頂は私有地。
1609年.
徳川家康が、関ヶ原の戦いに勝利した礼として
富士山8合目以上を
浅間大社の境内地として寄進したのだ。
明治維新でいちどは国有地となったものの、
1974年の最高裁判決で
神社の所有権が認められた。
たしかに「富士山は神様のもの」というほうが
しっくりくる気もする。
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