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蛭田瑞穂 15年10月25日放送

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音楽と人 バッハと国王

1745年、オーストリア王位継承戦争が集結すると、
プロイセン国王フリードリヒは宮廷に62歳のバッハを招いた。

バッハが到着すると国王は
「皆の者、老バッハが参ったぞ」と叫び、大いに歓迎し、
ピアノの演奏をバッハに依頼した。

国王の求めに応じて、バッハはみごとな即興演奏を披露した。
素晴らしい演奏に、その場にいる誰もが息を呑んだ。

のちにバッハは演奏を楽譜に起こし、
あらたに書き下ろした曲とともに国王に贈った。

バッハ最晩年の傑作『音楽の捧げもの』は
こうして出来上がった。

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蛭田瑞穂 15年8月2日放送

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Hambear
夏を感じる① サーファー・ムーン

ビーチボーイズのリーダー、ブライアン・ウイルソンは海が苦手だった。
サーフィンの経験もない。

それでもブライアンはレコード会社の要請で
サーフ・ミュージックをつくることを余儀なくされた。

3作目のアルバム『サーファー・ガール』に収められた『サーファー・ムーン』。
サーフ・ミュージックとしては異例の、管弦楽器を用いたスローバラード。
歌われるテーマも太陽ではなく月。

サーフィンをやらないブライアン・ウイルソンだからこそ
創造することのできた、オリジナルな世界がそこにはある。

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蛭田瑞穂 15年8月2日放送

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Bogda
夏を感じる② ユア・サマー・ドリーム

ビーチボーイズの3作目のアルバム『サーファー・ガール』に
収められたバラード『ユア・サマー・ドリーム』。

この曲で歌われるのはある青年の夏の一日。
女の子を誘って海まで行き、手をつないで浜辺を歩くが、
思いを打ち明けるタイミングを逸したまま、やがて陽は沈む。

歌詞はこう結ばれる。

 Time has come for you to show your love
 Make it real, your summer dream
 さあ彼女に愛を伝えるんだ
 君の夏の夢を叶えるんだよ

カリフォルニアの明るいバンドと思われがちなビーチボーイズだが、
リーダーのブライアン・ウイルソンが描く世界は
そんなイメージに反してほろ苦く、切ない

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蛭田瑞穂 15年8月2日放送

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夏を感じる③ サーファー・ガール

ビーチボーイズ3作目のアルバム『サーファー・ガール』。

海やクルマといったテーマは前作までと変わらないが、
複雑なコーラス・アレンジ、斬新なコード進行、
無駄のないサウンドデザインなど、音楽面では飛躍的な成長が見られる。

このアルバムでリーダーのブライアン・ウイルソンは
初めてプロデューサーも兼ね、
以来、その天才的な音楽の才能を開花させていく。

『サーファー・ガール』についてブライアン・ウイルソンはこう述べる。

 才能を認められたい。敬愛されたいという猛烈な願望から、
 徹底した完全主義を貫いた。すぐに暴君という評判が広まったけど、
 最高を、完璧を求めた。その結果、ビーチボーイズにとって初めての、
 本当にいいアルバムをつくることができたんだ。

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蛭田瑞穂 15年7月19日放送

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こども① 宮﨑駿

宮崎駿が初めて読んだ活字の本は
アンデルセンの『人魚姫』だったと言う。
以来宮崎は多くの児童文学に親しんできた。

大学時代は児童文学研究会に所属し、
アニメーションスタジオに入社してからも
会社の本棚にある少年文庫を
片っ端から読みふけった。

児童文学の魅力を宮崎駿はこう述べる。

 児童文学というのは(中略)
 「生まれてきてよかったんだ」というものなんです。
 生きててよかったんだ、生きていいんだ、というふうなことを、
 子どもたちにエールとして送ろうというのが、
 児童文学が生まれた基本的なきっかけだと思います。

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蛭田瑞穂 15年7月19日放送

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こども② 谷崎潤一郎

谷崎潤一郎は
自分の生い立ちをできる限り詳細に綴ってみようと、
70歳で随筆集『幼少時代』を執筆した。

いちばん古い記憶のこと。父と母のこと。
生まれ育った街のこと。小学校の恩師のこと。
古い記憶を総動員して幼い日のことを振り返る谷崎。
そしてあとがきでこう述べる。

 現在自分が持っているものの大部分が、
 案外幼年時代に既に悉く芽生えていたのであって、
 青年時代以後においてほんとうに身についたものは、
 そんなに沢山はないような気がするのである。

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蛭田瑞穂 15年7月19日放送

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Vintage Japan-esque
こども③ 茨木のり子

茨木のり子の詩「こどもたち」。
詩の中で茨木は、小さなこどもの見るものは常に断片であるが、
青春期になると突然それまでのすべての記憶をつなぎはじめる、
とこどもたちの記憶について洞察する。

そして茨木のり子は詩をこう結ぶ。

 その時に 父や母 教師や祖国などが
 ウミヘビや毒草 こわれた甕 ゆがんだ顔のイメージで
 ちいさくかたどられるとしたら
 それはやはり哀しいことではないのか

 
 おとなたちにとって
 ゆめゆめ油断のならないのは
 なによりもまず まわりを走るこどもたち
 今はお菓子ばかりをねらいにかかっている
 この栗鼠どもなのである

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蛭田瑞穂 15年6月21日放送

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artbyrandy
太陽⑦ アナクサゴラス

古代ギリシャでは太陽は神と考えられていた。
太陽はすべての生命の源である。
人々がそう考えるのは無理もない。

しかし、哲学者のアナクサゴラスは違った。
日食や月食などの観察から
太陽は燃え盛る巨大な石の塊であると説いた。

しかし、その説は人々に受け入れられるどころか、
神への冒涜として罪に問われてしまう。

アナクサゴラスの正しさが証明されるのは
のちの天文学の発展を待たねばならないが
彼の慧眼には驚くしかない。

常識を疑えば、そこから真理が見えてくる。

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蛭田瑞穂 15年6月21日放送

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太陽⑧ アリスタルコス

古代ギリシャ。
アリストテレスたちが天動説を唱えていたその頃、
数学者アリスタルコスは夜空に浮かぶ半月を見てこう考えた。

月は球体なのだから月の半分が照らされているのは
太陽光が真横から当たっているからに違いない。

そこからアリスタルコスは太陽と地球と月の位置関係と
それぞれの大きさを導き出し、こう結論した。

地球よりはるかに大きな天体が地球のまわりを
一日に一回まわっているのは不自然である。
太陽ではなく地球がまわっているのだ。

しかし、彼のこの説が広く受け入れられることはなかった。
太陽中心説が再び注目されるのは約1800年後、
コペルニクスの登場によってである。

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蛭田瑞穂 15年5月17日放送

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海⑦ ギャレット・マクマナラ

命知らずのサーファー、ギャレット・マクマナラ。

11歳でサーフィンを始めたマクマナラは
17歳でビッグウェーブに魅せられるようになる。

2011年、当時の世界最高記録となる78フィートの波にライディングし、
2013年には100フィートのサーフィンを成功させた。
8階建のビルに相当する高さだ。

巨大な波を前に恐怖はないのかと問われ、彼はこう答える。

 正直なところ、怖くはなかったよ。
 海の中にいるとそんなに大きな波だとはわからないからね。

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