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蛭田瑞穂 17年11月12日放送

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ノーベル賞 カズオ・イシグロ

今年、日系人の作家として初めてノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ。
ノーベル財団は選出の理由を次のように発表した。

 カズオ・イシグロ氏の力強い感情の小説は、
 私たちが世界とつながっているという幻想に隠されている闇を明らかにした。

ノーベル賞の発表を受けて、
カズオ・イシグロはインタビューにこう答えている。

 日本語を話す日本人の両親のもとで育ったので、
 両親の目を通して世界を見つめていました。
 私の一部は日本人なのです。
 私がこれまで書いてきたテーマがささやかでも、
 この不確かな時代に役立てればと思います。

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蛭田瑞穂 17年11月12日放送

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ノーベル賞 スベトラーナ・アレクシエービッチ

ベラルーシ出身のジャーナリスト、スベトラーナ・アレクシエービッチ。

旧ソ連の女性兵士の証言を集めた初の著書『戦争は女の顔をしていない』以来、
証言者に実際に会い、その声を聞くのが彼女の基本的なスタイル。

スベトラーナは語る。

 私は恐怖体験ではなく人間の魂や理想主義を集めているのです。
 重要なのは想像力を失わないこと。
 恐ろしい全体主義も人間に勝利することはできなかったのだから。

2015年、彼女はノーベル文学賞を受賞する。
選考理由は「現代の苦しみと勇気を如実に表す、
多様な声を集めた記念碑的作品」を書いたことだった。

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蛭田瑞穂 17年10月8日放送

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海外に暮らす⑤:パリのおすし

日本人シャンソン歌手の第一人者、
石井好子のエッセイ集『パリ仕込みお料理ノート』には
1950年代に数年間暮らしたパリでの暮らしが、
食べ物の思い出とともに綴られている。

フランスの正月は特に行事がなく、
特別な正月料理もない。
ある年、日本人の友人たちと
せめて食べ物で正月を祝おうと思った。
しかし、パリにおせち料理の材料はない。
そこでみんなでおすしをつくることにした。

元日の朝早くから市場へ魚を買いに走り、
すし飯づくりにとりかかった。
不慣れな手つきで握ったおすしは
吹き出してしまうような形だったが、
その味は頬が落ちるほどおいしかったという。

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蛭田瑞穂 17年10月8日放送

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海外に暮らす④:パリのしめ鯖

日本人シャンソン歌手の第一人者、
石井好子のエッセイ集『パリ仕込みお料理ノート』には
1950年代に数年間暮らしたパリでの暮らしが、
食べ物の思い出とともに綴られている。

石井はパリの魚屋で鯖を見つけると、
自宅でよく、しめ鯖をつくったという。

薄皮をむき、中骨を取り、鯖の身を三枚におろす。
そのときどうしても手を使わざるを得ないのだが、
手についた鯖の匂いは一日中消えない。

フランスの男性は手の甲にキスをする習慣があるため、
しめ鯖をこしらえた日は大変に気まずかったとのこと。

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蛭田瑞穂 17年9月17日放送

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Chad Stembridge
美味なるイタリア料理 アントニオ・ラティーニ

1554年、ナポリに一隻のスペイン船が入港した。
この時初めてイタリアにトマトが伝わったと言われている。
その後、トマトは主に観賞用として栽培されることになった。

トマトを初めて料理のソースとして用いたのは
17世紀のナポリの宮廷料理人、アントニオ・ラティーニ。

あぶって細切れにしたトマトを玉葱、胡椒、ピーマンなどと混ぜ、
塩、オリーブオイル、酢で味をととのえる。
これがラティーニの考案したトマトソースのレシピ。

のちの料理人たちがこのソースにさまざまな工夫を加え、
パスタと組み合わせた。
そしてトマトソースは世界でもっとも人気のあるパスタソースとなった。

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蛭田瑞穂 17年9月17日放送

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美味なるイタリア料理 ジョヴァンニ・デル・トゥルコ

多くの人が好む、パスタのアルデンテ。
しかし、17世紀になるまでパスタは
30分から2時間ほども茹でるのがふつうだった。

アルデンテはいつ誕生したのか。

17世紀のフィレンツェの音楽家で、
料理家でもあったジョヴァンニ・デル・トゥルコは
その著書『エプラリオ』の中でこう記している。

 マッケローニは長く茹でないほうがよろしい。
 茹でたあとただちに冷水をかけること。
 それがマッケローニをシャキッと引き締める。

これがアルデンテの起源と言われている。

絶妙にコシの残るおいしいパスタが食べられるのは、
ジョヴァンニさんのおかげかもしれない。

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蛭田瑞穂 17年9月17日放送

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美味なるイタリア料理 ペッレグリーノ・アルトゥージ

19世紀のイタリアの料理研究家ペッレグリーノ・アルトゥージは
イタリア各地をめぐり、古くから伝わる郷土料理に斬新なアレンジを加え、
そのレシピを一冊の本にまとめた。

それが1891年に出版された『料理の科学と美味しく食べる技法』。
本はどの家庭にも一冊あると言われるほど売れた。

中世以降、都市国家が群雄割拠し、
19世紀の末にようやく国家統一を果たしたイタリアにとって、
アルトゥージの本は「ひとつのイタリア」の象徴とも言えた。

その功績により、現在ペッレグリーノ・アルトゥージは
「イタリア料理の父」と呼ばれる。

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蛭田瑞穂 17年8月13日放送

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左利き サウスポーの由来

映画「ロッキー」。
主人公のロッキー・バルボアはフィラデルフィア出身の
サウスポーのボクサーという設定である。

劇中、ロッキーが恋人のエイドリアンに
サウスポーという言葉の由来を説明する場面がある。

 昔々、200年も前の大昔、
 フィラデルフィアにケンカに滅法強い男がいた。
 そいつは左利きだったから腕はいつもニュージャージーを向いていた。
 つまり、南を向いていたってわけだ。
 だからそいつは「サウスポー」と呼ばれるようになったのさ。

もちろん、これは映画の中のホラ話。
だが、映画のフィナーレでフィラデルフィア出身のサウスポー、
ロッキー・バルボアは見事、世界チャンピオンの座を勝ち取る。

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蛭田瑞穂 17年8月13日放送

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Chris Yarzab
左利き サウスポーのボクサー

映画「ロッキー」。
無名のボクサーのロッキー・バルボアが
世界チャンピオンのアポロ・クリードに勝てたのは
ロッキーがサウスポーだったことが大きい。

アポロがロッキーを対戦相手に指名すると、
トレーナーは激しく反対した。

 チャンプ、こいつはサウスポーだぞ!
 サウスポーだけはやめておけ!

右利きのアポロ・クリードは左利きのボクサーを苦手としていた。
だが、アポロは相手の力を見くびっていた。

ロッキーはサウスポーという数少ない利点を活かし、
格上の世界チャンピオンをノックアウトした。

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蛭田瑞穂 17年8月13日放送

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左利き シルベスター・スタローン

1970年代の頭、シルベスター・スタローンは売れない役者だった。
生活は貧窮の底にあった。

1975年29歳の時、観戦したヘビー級タイトルマッチに感銘を受け、
わずか3日で脚本を書き上げたスタローンは映画会社に売り込みに行く。

これが無名のボクサーが一夜にして世界チャンピオンの座を射止める
映画「ロッキー」の脚本である。

映画は世界的に大ヒットし、その年のアカデミー賞も受賞する。
ロッキー同様、スタローンもまた
この映画によってアメリカンドリームを手にした。

主人公のロッキーがサウスポーのボクサーなのは
スタローン自身が左利きだから。

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