JBOY
中村八大1
作曲家、中村八大。
日曜の夕方になると流れてくる「笑点」のオープニングテーマ。
あのメロディは、「上を向いて歩こう」で有名な、
ジャズピアニストにして作曲家、
中村八大がつくったものだ。
底抜けに明るいメロディの中に、
ひそむブルージーな気配。
饒舌なミュート・トランペット。
純和風な曲に見えて、じつはジャズのエッセンスがひそむ。
日曜の終わりに感じる、そこはかとないせつなさに、
あの曲は一役買っているのかもしれない。
JBOY
中村八大1
作曲家、中村八大。
日曜の夕方になると流れてくる「笑点」のオープニングテーマ。
あのメロディは、「上を向いて歩こう」で有名な、
ジャズピアニストにして作曲家、
中村八大がつくったものだ。
底抜けに明るいメロディの中に、
ひそむブルージーな気配。
饒舌なミュート・トランペット。
純和風な曲に見えて、じつはジャズのエッセンスがひそむ。
日曜の終わりに感じる、そこはかとないせつなさに、
あの曲は一役買っているのかもしれない。
ForestWander
中村八大2
作曲家、中村八大。
彼が作曲した「上を向いて歩こう」が
「SUKIYAKI」として全米チャート1位になったのは、51年前。
作詞家・永六輔、歌手・坂本九とともに
成しとげた快挙だ。
ビルボードチャートで、
3週連続1位を記録。
アメリカでの売り上げが100万枚に達し、
翌年全米レコード協会のゴールドディスクを受賞した。
日本のみならず、アジアの歌手が
ビルボード1位になったのは、いまだにこのときだけである。
震災後の日本でも
人々を力づけてきたこの曲は、
自分の心をそっとかえりみるような繊細さと
やさしさをたたえている。
中村八大3
作曲家、中村八大。
1959年の初夏、彼は映画につかう歌を8曲、
翌日までに書き上げる仕事を頼まれた。
ジャズピアニストだった彼は、
コンビを組む作詞家のあてもなく、有楽町の日劇の前の交差点を渡る。
そのとき偶然、通りのむこうから
歩いてきたのは、顔見知りの永六輔だった。
すぐに八大は、作詞の経験がなかった六輔を口説き、
自分の部屋につれていき徹夜で8曲を作り上げた。
それは、
2年後に「上を向いて歩こう」を世に送り出す「六八コンビ」が誕生した瞬間だった。
歩いてさえいれば、運命はむこうからやってくることがある。
JFXie
中村八大4
作曲家、中村八大。
彼は10歳のとき、
「荒城の月」と「さくらさくら」を聞いて涙を流し、
生涯をかけて大音楽家になろうと誓った。
そして人気ジャズピアニストとして多忙を極めていた
22歳のときには、メモにこう記した。
「中村八大は他から作られず、自分で完成させる物也。
(中略)
中村八大は誰よりも苦しく、誰よりも幸せでなければならない。
(中略)
右の通り決定する。」
いそがしい中でも、自分のやりたいことを見失わず、
日々つくりあげていく。
その決意こそが、のちに彼を作曲家にし、
「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」など、
後世にのこる名曲を送り出すエネルギーとなったにちがいない。
KTR
紀貫之①
平安時代の歌人、紀貫之。
貴族としての地位には恵まれなかった天才歌人は、
こんな春の歌をのこした。
袖ひちてむすびし水のこほれるを
春立つけふの風やとくらむ
夏の日、袖をぬらしてすくった水が
冬には凍ってしまった
その氷を、春になった今日のあたたかな風がとかすだろうか
一年間の風景を、つかのまの映像として見せる。
時間の流れをかるがると超える現代的な表現は、
こんな心象風景にも聞こえてくる。
「一度は凍りついてしまったのびやかな気持ちは、
きっとまた戻ってくるさ」
紀貫之②
平安時代の歌人、紀貫之には、
こんな歌がある。
影見れば波の底なるひさかたの
空漕ぎわたる我ぞわびしき
海に映る月の光を見ていると
水の底がまるではるかな天空のように思われて
私はひとり空をこぎわたるようなさびしさを感じる
貫之は、言葉の力で、
海底を空に、水面を海底に、かえてみせた。
その逆をゆく歌も詠んだ。
さくら花散りぬる風のなごりには
水なき空に波ぞ立ちける
桜の花が散ってゆく風のなごり
そのとき、花びらの波が立って
空は海にかわった
どちらの歌でも貫之は、
ことばという自分だけのカメラをつかって
一瞬を永遠の風景にかえていた。
紀貫之③
平安時代の歌人、紀貫之。
30代にして最初の勅撰和歌集を編纂するなど
当代一の歌人として尊敬を集めた貫之。
しかし貴族としての地位は高いとは言えず、
59歳で土佐に赴任したのも、
経済的な必要に迫られてのことだったと言われている。
任期が終わり、京都へ戻る旅路のできごとを、
当時めずらしかったひらがな文で描いた名作「土佐日記」。
彼は役人であるという現実から自由になり、
大好きなひらがなと、やまとことばを自在にあやつるために、
作者は女性であるというフィクションを用いた。
自分自身は頑固な老人役で登場させている。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
親しく支えてくれた人たちを、
次々に病でなくした失意の時期に書かれた名文。
やりきれない人生の旅路をウィットたっぷりに描き出す彼の背中は、
きっとブルース・シンガーを思わせたにちがいない。
紀貫之④
平安時代の歌人、紀貫之。
65歳の頃書かれた「土佐日記」。
赴任していた土佐を離れるところから話ははじまる。
別れを惜しんで何日も船を追いかけてくる人たちを、彼はこう表現している。
この人々の深き志は、この海にも劣らざるべし。
しかし、55日もかけて
さまざまな困難の末たどりついた京都の家は、見る影もないほど
荒れ果てていた。
隣の人に管理をまかせて、欠かさず贈り物もしていたのに。
お付きの者たちが「ひどい」と怒り出すのを
主(あるじ)の老人は制して、お礼だけはすることに決める。
なにがあっても、心が凍りそうになっても、
自分らしいのびやかさを忘れない。
彼の作品にはいつも、貫之という人間が垣間見える。
a nameless yeast
ハル・デイヴィッド
作詞家ハル・デイヴィッド。
2011年度のガーシュウィン賞に輝き、
オバマ大統領から直接、賞を手渡された彼は
すでに90歳だった。
ともに受賞した作曲家、バート・バカラックとのコンビで
多くの曲を書いてきた。
これまでにポール・サイモン、スティーヴィー・ワンダー、ポール・マッカートニーが
受賞したこの賞を、ソングライティングチームが初めて受賞した。
「今までもらった賞の中でいちばんうれしい」と語った
ハル・デイヴィッド。
一度は疎遠になったバカラックと、
とびきりの笑顔で写真におさまっている。
@Doug88888
ハル・デイヴィッド2
作詞家ハル・デイヴィッド。
作曲家バート・バカラックとのコンビで初めてヒットを
飛ばしたのは37歳。遅咲きだった。
代表作のひとつ、
カーペンターズが歌った「Close to you」。
どうして鳥たちは
あなたが近づくと
突然姿をみせるの
そう みんなあなたのそばにいたい
私がそうであるように
ハルは、この曲がヒットするとは思えなかったそうだ。
「つかみがないような気がしたんです。
どんな曲がヒットするかなんて、誰にもわからない。
だから私は自分が好きだと思うものを書けばいい、
それをみんなも好きになってくれると思うようにしていました。」
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