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飯國なつき 14年8月9日放送

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走る② Runner

走るときに、音楽が大切な相棒になるという人は多い。
中でも人気のある曲のひとつが、
爆風スランプの「Runner」だ。

この曲は、爆風スランプのメンバー4人のうち、
ベースの江川ほーじんの脱退に際し作られた曲だった。

結成以来、苦楽を共にしてきた仲間が去ることになり、
しばらく放心状態だったサンプラザ中野。
彼がつづった歌詞からは、
感傷を振り切り、夢へと向かう強い決意が読みとれる。

 走る走る俺たち 流れる汗もそのままに
 いつかたどりついたら 君に打ち明けられるだろう
 たとえ今は小さく 弱い太陽だとしても

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飯國なつき 14年7月20日放送

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それぞれの人生① ロベルト・ベニーニ

映画監督ロベルト・ベニーニは、
「子ども」という存在について、こう語る。

 子どもは、トラのようなものさ

 相手は神秘とエネルギーの塊

 トラになぜ縞模様なのかと尋ねてもムダだ

 それは謎なんだ

 子どもも謎の存在だ

 受け入れるしかない

 あるがままを受け入れて

 自由にさせる

そんな想いからだろうか。
映画「ライフ・イズ・ビューティフル」では、
第二次世界大戦下、ユダヤ人収容所に囚われながらも、
わが子が子どもらしくいられるよう
努力を重ねる父親を描いた。

私たちも、
子どものあるがままの姿を守れているだろうか。

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飯國なつき 14年7月20日放送

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それぞれの人生③ 筒井康隆

小説といえば、セリフがあって、地の文があって、
物語に必要なエピソードが連ねてあるもの。
そんなルール、誰が決めたんだ?

筒井康隆の小説は、そう問いかけてくるかのように、
小説の「型」を壊し続ける。

『虚人たち』では、
主人公の思考を1秒も余さず描写し、主人公が意識を失うと、
ページは白紙になった。

『ダンシング・ヴァニティ』では
同じシーンを少しずつパターンを変えながら繰り返し、
人生の中での「もしあの時ああしていたら」という
誰も思ったことのある夢想を具現化した。

『朝のガスパール』では
新聞連載上で、現実の投書の内容が小説の中に出てきて
主人公の小説家を悩ませ、今でいうインタラクティブのはしりを実践していた。

純文学とSFの境目を自由自在に行き交い続けた60年は、
挑戦の歴史でもある。

巨匠と呼ばれるようになっても、
その挑戦心はとどまることを知らない。
一昨年には、77歳にしてライトノベルにまで進出し、
往年の筒井ファンを驚かせた。

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飯國なつき 14年6月14日放送

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雨に想う④ 宮沢賢治

宮沢賢治に「永訣の朝」という詩がある。
最愛の妹との別れをうたった詩だ。

病の床に伏す妹。
外はみぞれまじりの雨が降っている。
激しい熱と喉の渇きに、妹は賢治に
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」、
「雨と雪をとってきてほしい」とせがむ。

 ああとし子
 死ぬといういまごろになって
 わたくしをいっしょうあかるくするために
 こんなさっぱりした雪のひとわんを
 おまへはわたくしにたのんだのだ

死にゆく者を前にして、人は無力である。
賢治は妹の頼みを兄に対するやさしさと受け取った。

 あめゆじゅとてちてけんじゃ

「永訣の朝」の中で繰り返されるこの言葉。
その響きはあまりに哀しく、あたたかい。

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飯國なつき 14年5月10日放送

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旅する人① 玄奘

唐の時代、玄奘という僧侶がいた。

「仏教について、一番詳しい人に話を聞きに行こう」。
そんな理由で、聖地インドをめざして旅に出た、
豪胆な人物である。

国禁を犯して出国し、ある時は灼熱の砂漠を越え、
ある時は雪と氷にとざされた山脈を越えた。
その旅の壮絶さは想像に難くない。

そして16年後、玄奘は膨大な数の経典をインドから持ち帰り、
終生を翻訳の作業に費やした。

玄奘が人生を賭したこの旅は、
「西遊記」の物語の元になったといわれている。

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飯國なつき 14年5月10日放送

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旅する人④ 辺見庸

ルポ・ライターの辺見庸は、
ある日世界各国を食べ歩く旅に出た。

バングラデシュでは、屋台で売られている、
すえた臭いの残飯を食べた。
タイでは、缶詰工場で働く人々の質素な食事を食べた。
ソマリアでは、難民キャンプの発酵したクレープを食べた。

食べ物は、その国の文化や経済状況を如実に映し出す。
しかし辺見は、痛烈な社会批判をすることなく、
リアルな食の現場を、淡々とあぶり出していった。

辺見は語る。

 奇食に見えて、しかし奇食など世界には一つとしてない。
 行く先々にもの食う人びとがいて、
 いまそれを食うことの十二分な理由と、
 食うことと食えないことにかかわる
 知られざるドラマを持っていた。

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飯國なつき 14年4月19日放送

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先駆者たち③氷室冴子

氷室冴子という少女文学の名手がいた。
ジブリによって映画化された、「海がきこえる」の原作者だ。

もっと子供だったら気付かないだろう、
もっと大人であれば乗り越えられただろう、
日常の小さな“事件”たち。

そんな事柄にゆれる少女たちの姿が、
ときに繊細にときにコミカルに描かれる。

物語を支えるのは、作品によって自由自在に変わる言葉や文体だ。
彼女の、言葉に対する執着心は、
「ある作家の“句読点の打ち方”に惚れ込むあまり、
追っかけまでしていた」
というエピソードからも感じられる。

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飯國なつき 14年4月19日放送

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先駆者たち④ レジナルド・フェッセンデン

いま、あなたが聞いているラジオ放送。
その発祥をご存知だろうか。

約100年前のクリスマス・イブ。
大西洋を航行していたある貨物船の乗組員たちは
その日の果物相場をモールス信号で聞いていた。

ところが、その最中に
無線機はいきなり音楽をキャッチした。
モールス信号ではない、本物の蓄音機から流れる曲だった。
つづいてバイオリンの生演奏、さらに歌声まで。

その声の主こそ
カナダの発明家レジナルド・フェッセンデン。
世界で初めて音声信号の無線通信、
つまりラジオ放送に成功したといわれる人物だった。

しかし、当時、彼の起こした奇跡は、
ほとんど話題にならず、忘れ去られてしまう。

当時、ラジオの受信機など誰も持っておらず
せっかく電波を発信しても聴くことができるのは
大西洋沿岸を行く船の無線技士だけだったからだ。

今この瞬間に起きているかもしれない小さな奇跡がある。
私たちのアンテナは、それをキャッチできるだろうか。

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