ちいさな旅人
ストーリー 一倉宏
出演 水下きよし
その旅は私のささやかな そして曖昧な 自慢話だ
小学5年生になる春休みに はじめて長距離のひとり旅をした
電車を乗り継いで 関東のある街から 関西のある街まで
乗り換えは 上野 東京 そして京都 の3回
新幹線を京都で降りて 無事 叔母の住む街に向かうローカル線に乗った
平日の午後 乗客はまばらとはいえ 無人のボックスはなかったのだろう
私は車内を見渡し 窓際に白髪のそのひとのいる席の向かいに座った
おそらくは ちいさな会釈をして
いま知っていることばでいえば 「気品のある老紳士」
当時に知っていることばでいえば 「ちょっとかっこいいおじいさん」は
こころよく 小学生の私を迎え入れてくれた
なんだか・・・ どこかで見たような 頭のよさそうなおじいさん
2駅めも過ぎた頃だったと思う なにかの本を読んでいた私は
向かいの そのひとに話しかけられたのだった
「本は 好きですか?」
決して口数が多いというタイプには思えない そのひとは
線路沿いの踏切が通り過ぎるあいだに ぽつりぽつりと私に話しかけた
「学校は 楽しいですか?」
いまでは 多くの悪口をいわれる「戦後民主主義教育」だけれど
すくなくとも 私の受けた学校教育はそんなものではなかった
それは 「希望」とか「理想」とか まっすぐに語るものだったから
私はそれを 「大好きだ」と答えたと思う
そのひとはよろこんだ そして
「どの科目が好きですか?」 と 尋ねた
私はすこし考えて そして 2つに絞った
「国語 と 理科」
そう答えたら そのひとの眼が きらりと光ったことを忘れない
「そうですか・・・
私もこどものころから 両方好きでした
私は ずっと理科の勉強を専門にしてきましたが・・・
どちらも すばらしい・・・
そして はてしない
・・・宇宙も ・・・ことばも」
誰だったと思う?
その 向かいの老紳士は 誰だったと思う?
「どちらに進むにせよ
ぼっちゃん がんばって勉強なさい」
そういって そのひとは 私の頭をなで 次の駅で降りた
そのひとは・・・ もしかして・・・
湯川秀樹博士 だったのではないか と思うのだ
その旅は私のささやかな そして曖昧な記憶の 自慢話だ
私の憧れが 勝手につくった思い出話でない限り
そのひとは素敵だった まっすぐに「未来」を語った
あの頃のこどもたちが みんな好きだった
「湯川博士」よ そして 「希望」よ 「理想」よ 「平和」よ
いつのまにか この時代のローカル線は・・・
どこへゆく?