さようならの贈りもの
ストーリー さくらやすひこ
出演 浅野和之
妻が逝ってから、
はじめての夏を迎えた。
彼女が端正しつづけた
小さな庭も、
その主を失ったせいで
名も知らぬ夏草に覆われ、
少しばかり荒れている。
その野放図なまでの
緑の氾濫は、
かえって
激烈な生命(いのち)の発露を
私に見せつけているようで、
いっそすべての植栽も
引き抜いてしまおうかと思うのだが…
それも、できぬままでいる。
この庭を見て、
彼女は私になんと言うだろうか。
この夏、
三十路に入る息子は、
この家から独立して
既に十年近い時間が経つ。
ともすれば、
口よりも手が先に出てしまう。
そんな、ただ厳しいだけの私を
受け入れることなく、
今では彼もやさしい父親として
郊外に家族3人で
慎ましく暮らしている。
妻がまだ入院する前に、
滑り込むように嫁に行った娘は、
時折、この家にやってきては、
無精な私に代わって
あれこれと家の雑事を
片付けてくれている。
そして、
いつも決まって
荒れた庭先を黙って見つめ… 、
小さなため息を、ひとつつく。
そんなひとりきりの我が家での
週末の私は、
もっぱら本の虫ということになる。
庭に溢れる緑の下に息づく
地虫とさほども変わらない。
老眼が出はじめてからは、
本の虫には、
小さな眼鏡が欠かせなくなった。
妻から贈られた華奢で洒落た
老眼鏡は、
数日前に私が誤って踏みつけてしまい、
今は、修繕に出ている。
その前に掛けていた
旧い方の老眼鏡は…、
…確か、
妻がしまっておくと
私に言い置いていたことを想い出した。
茶の間の用箪笥の引き出しを
すべてひっくり返す。
台所の水屋の戸棚を
片端から引き開ける。
仏壇の厨子(ずし)を開け放つ。
元気だった頃の妻の写真が、
そんな私の往生する姿を見て
微笑んでいる
ない。
只管(ひたすら)、ない。
眼鏡が、ない。
しかし、
思いも掛けないものが、
用箪笥や水屋の戸棚から出てきた。
ひとつは、
息子がまだ小学生だった頃に
描いて贈ってくれた
私の似顔絵だ。
クラスでひとりだけ
金賞をもらったと
顔を上気させていた幼い彼の顔。
乱暴に頭を撫でる私。
そんな光景が一瞬、頭の中で明滅する。
クレパスで描かれた私は
画用紙いっぱいに破顔している。
私は、
彼にこんな顔を見せたことも
あったのか。
もうひとつは、
結婚式当日に娘から送られた
妻と私宛の手紙だった。
当時は、どうしても読む気がせず、
妻に託したままだった。
封は既に切られていた。
妻が読んだのだろう。
右に少しあがった癖のある娘の文字が
目に飛び込んでくる。
もう、一年以上も前に書かれた
娘の思いが、今更のように
私の中に染みてゆく。
そして、
仏壇の引き出しの奥に仕舞われた
文箱(ふばこ)から、
それは、出てきた。
結婚する前に、
私が妻へ贈った安物のブローチとともに。
病院の名前が印刷されたメモ用紙には、
震える文字で
ただ一言だけ、こう書かれていた。
「また、会いましょうね」
老眼鏡を掛けていないせいか、
私には、その文字が滲んで、
よくは見えなかった。