ナデシコ
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳
ナデシコの花は、
日なたの匂いがする。
なつかしい少女の
髪の毛のように。
キツツキが電信柱をつつく、
山深い村の小さな小学校に、
その少女が転校してきたのは、
四年生の秋だった。
ひとめ見たとき、少年は、
きれいだなあと思った。
少女雑誌の表紙みたいだ、と思った。
少年が少女を、ぼーっと
見つめている日がくり返されていった。
そして、五年生になる頃から
少女が見つめ返して、
ニッコリしてくれるようになった。
彼女は、少年より、すこし背が高い。
それは六年生の夏の始め、
村はずれにあるお稲荷さんの祭りの日、
夕暮になる頃、ふたりは、ひそかに、
狐のお面をかぶって、
神社の森へ行った。
杉木立に囲まれた参道には、
屋台の店が立ち並び、
村人たちが晴着を着て、
三々、五々、歩いている。
人込みの中を、ふたりは、
かくれんぼするように歩いた。
やがて、東の山の端に、
十三夜の月が出る頃、
ふたりは、村に戻る川の堤の道を、
狐のお面をつけたまま、帰った。
なにもしゃべらずに、ふたり並んで。
青白い月の光の中を、
蛍が、後になり先になり、
ゆれながらひかり、消えていった。
少女の家は、
大きな竹やぶの陰にあり、
そこまで来ると、
ふたりは、お面を取った。
少女は、ナデシコの花もようの
ゆかたを着ていた。
少年は、トンボがいっぱい飛んでいる
ゆかたを着ていた。
ふたりは見つめあった。
突然、少年の右手が、
ナデシコの胸にのびて、ちょっと触れた。
少女の手が、かなり強く
トンボの頭をたたいた。
バカ、と少女は、小さい声で言った。
実り始めたクリの実を落して、
強い雨風が、何回か村を通り過ぎると、
その年の夏も終った。
少女は、突然、学校からいなくなった。
東京に引っ越していった。
少年は、ひとり、
裏山の松の木に登り、
夕暮の空に向かって、
トウキョウーっと叫んでみた。
甘ずっぱいものが、
胸の奥にこみあげてくる。
風のように訪れて、去っていった少女。
少年は、ときおり、右手の指先に、
やわらかなゴムマリにさわったような
うずくような感覚が、
よみがえるように、なっていた。
あれから時が流れて、昔の少年は
代々木上原の高台に
バラのように、はなやかな女性と
生活している。けれど、
庭先の、陽あたりの良い場所に、
まい年、夏になると、ナデシコの花が、
うす紅色の花をつけるのだった。
*出演者情報:久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー