一倉宏 2009年11月5日



幼稚園のトンネルで

             
ストーリー 一倉宏
出演 大川征義

いまでもあるだろうか
僕の通っていた幼稚園の庭には 高さ1m50cmほどの
土を盛った「お山」があり これも全長1m50cmほどの
「トンネル」が貫通していて 園児たちに人気の遊び場だった
自分たちの背丈より高い 「お山」の頂上からの眺めは
なかなかのものだったし 雪でも降った朝には
「お山」は絶好のゲレンデと化し 小さなスキーヤーでにぎわった
スキーヤーは 滑っては転び はしゃぎまわった
そして 園庭の短いトンネルを抜けると そこは雪国だった
トンネルの暗闇から白い世界に抜け出す その瞬間が感動的で
僕らはなんども 「トンネルを抜けると雪国」ごっこを繰り返した
僕はまだ 本物のスキーをしたことも 
川端康成を読んだこともなかったけれど その感覚は知っていた
幼稚園の「お山」と「トンネル」で 学んだのだ

『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』
というタイトルの本が ベストセラーになったことがある
正直にいえば 僕はその本を読んでいない
読んではいないのだけれど そのタイトルを見ただけで 
だいたい何が書いてあるかを 想像できた
「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」
たしかに それはいえると 僕は思う
ただし 僕の場合は「砂場」ではなく 「お山」と「トンネル」で
「人生に必要な知恵はすべて幼稚園のお山とトンネルで学んだ」
こういい直せば それは僕自身の実感に さらに近づく

「お山」で学んだいちばんのことは 「競争社会」だ
高さ1m50cmばかりの小さな山でも 当然のように
みんな その頂上を目指すことに 夢中になる
特に 男の子たちはそうだ しかも 独り占めしようとする
後から来る者を追い払い 先に立つ者をひきずり落とす争い
これに似た状況は 大人になるほど ますます経験するではないか
幼稚園の庭に 小さな山がつくられた理由は
こんな社会の仕組みを 疑似体験させるためだったかもしれない

そして「トンネル」から学んだことは いまでも悩ましい
山登りのポジション獲り合戦を 好まなかった僕は
というより そういう争いでは負けてばかりの僕は
小さな山の頂上よりも 小さなトンネルの空間を好んだ
そこは 弱き者 争いに参加しない者たちの 安息の場所だった
山の上の争いよりも その静けさが好きだった 
そしてある日のこと 忘れがたい出来事が そこで起きた
気がつけば 同じ組のみどりちゃんと トンネルの中でふたりきり
コンクリートの冷たい壁にもたれ 肩も触れ合うほどの距離
みどりちゃんが囁いた 「ひろしくんは なにがしたいの?」
そのとき なんて答え 彼女のご機嫌を損ねたかを 思い出せない
みどりちゃんは ぷいっと横を向いて トンネルを出ていった
僕は予感した もしかしてこの世界には 山登りの成功よりも 
もっと甘美な ひそかな歓びが あるのかもしれない 
けれど それはそれで 簡単なことじゃない らしい

「人生のむずかしさはすべて幼稚園のお山とトンネルで学んだ」
いまの僕なら こういってみたい気がする

出演者情報:大川征義:http://twitter.com/#!/M_Okawa

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動画制作:庄司輝秋



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