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お千代さんの思い出
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳
お千代さんというママが銀座にいました。
バブルがふくらみ始めた、
一九八〇年代半ばのお話です。
「私は十九歳の時、このお仕事を
始めました。最初のお店は
五丁目の裏通りにある
ホームズというカウンターバーでした。
このお店は、いまもございます。
近頃では、とても高級なお店に
なりましたけれど。
亡くなる前の太宰(だざい)さんが
よくお見えになりました。
いつもウイスキーを
ストレートグラスでお飲みでした」
太宰さんとは、太宰(だざい)治(おさむ)のことです。
ところで、あのバブルの頃には、
お千代さんは、ほんとうはもう、
五十代に入っていたと思います。
いつも和服姿でした。
面長(おもなが)の、竹久夢二の描く女性のように、
美しい横顔をしていました。
お店の名前は「まあま」。
並木通りの八丁目にありました。
「まあま」とは中国語で、
お母さんという意味です。
私が「まあま」を知ったのは三十歳の頃。
テレビドラマの脚本を書いていましたが
まだまだ駆け出しでした。
あるテレビ局のディレクターの男性に
食事に誘われ、その帰り道に
「まあま」に寄ったのでした。
正直にお話ししすると、当時の私は
そのディレクターとの、
恋というよりも、ただの不倫な関係を
終りにしようと考えていたのですが、
初めて会ったのにお千代さんは、
すぐに私の悩みを
感じとってくれたのです。
彼女のまなざしが、
「だいじょうぶよ。ご自分を大切にね」
そう、ささやいてくれたと、
思えたのです。
それから私は、「まあま」にひとりで
訪れるようになりました。
そして、気づきました。
いつもカウンターのいちばん奥に、
赤いスイートピーが、十四、五本、
細いガラスの花びんに
活(い)けられていることに。
それは、ある風の冷たい
冬の夕暮れのことでした。
開店したばかりのお店に
お客は私ひとりでした。
そのとき、ドアを静かにおして
上品な黒いスーツを着た、
若き日の石坂浩次のような青年が
赤いスイートピーの花束をもって
入ってきたのです。
彼はニッコリしながら、
花束をお千代さんに渡す。
お千代さんは、その花束を、
ガラスの花びんのスイートピーと
ていねいに入れ替える。
そして、つぶやくように、
青年にたずねる。
「お父さまは、お元気?」
青年がやさしい声で、答える。
「いま、カナダです。来月にもどります」
ハイボールを二杯飲むと、
彼が立ち上がる。
お千代さんが、ドアの外まで送っていく。
「雪になるかしらねぇ」
ドアの外から彼女の声が聞こえてきました。
結局、青年が何者かを知らないままで、
私は、大阪のテレビ局の仕事が
中心になって、
東京を離れました。
五、六年が過ぎて、バブルもはじけた頃、
まだ肌寒い早春に、私は東京に戻りました。
そして、白とピンクの花だけで作った
スイートピーの花束をもって、
お千代さんを尋ねたのです。
二階への階段を昇り、ドアの前に立つ。
けれど、そこには、もう
「まあま」の文字はありませんでした。