中山佐知子 2011年1月30日



その馬は星を眺める

               ストーリー 中山佐知子
                   出演 大川泰樹

その馬は星を眺めるのが好きだった。
たぶん故郷の草原を思い出すからだろう。
馬の故郷ははるか西のキルギスに近い草原で
遠い地平線を見渡すことができたし
西に沈む星に向かってどこまでも駆けることができた。

馬が連れて来られた洛陽の都には草原がなかった。
地平線がどこにあるのかもわからなかった。
そのかわり大きな建物とたくさんの人がいた。

その馬は一日千里を走った。
二世紀の中国で千里といえば400kmと少しの距離だ。
その能力の高さゆえに馬はときの権力者への贈りものにされたのだったが
馬としてはそんな人間を背中に乗せるつもりは毛頭なかった。
そこで最初の持ち主はこの言うことをきかない馬をある武将に与えた。

その武将は強かったが、義に疎く節操がなく裏切りを繰り返した。
ある意味ではとてつもなく自由でありその奔放さが馬と似ていた。
馬は呂布というその武将を乗せて戦場に出向くようになった。
壕(ほり)を飛び越え、城に攻め入って敵を蹴散らすのは面白い、と
馬は思った。

やがて呂布が死に、馬は呂布を殺した男の手に渡った。
この三番めの主は知謀に優れた武将だったが少々冷酷でもあった。
馬はその男を嫌って大暴れに暴れた。
それから馬は自分の首にあたたかい手が置かれているのに気づいた。
なるほど、自分はまた誰かに譲られたのだ、こんどはどんな奴だろう。
馬はさざ波のような笑みをたたえた髭面の武将を見返した。

そしてまた、戦いの日々がはじまった。
あたたかい手をしたあたらしい主は関羽という名で信義に厚く
部下にやさしいと噂される人物だった。
戦場では恐れを知らず勇猛に敵を攻めたが
そんなときでも馬をいたわり危険な目に遭わせることがなかった。

馬はもう星を眺めることがなくなった。
あたらしい主は混み合った戦場でも
草原と同じように馬を走らせることができた。
馬はどこにでも草原をつくりだす主の手綱に従うことが心地よく
また、その日の戦いが終わってから自分を撫でるあたたかい手が
待ち遠しいと思うようになった。

このとき関羽は曹操のもとにあり将軍として仕えていたが
一生の友情と忠誠を誓った相手はほかにいた。
馬が草原をなつかしむように
関羽もまた慕わしく思う人がいたのだ。
そしてその日、関羽は馬とともに目指す人のもとへ走った。
もし追われても、この馬に追いつけるものはいない。
一日千里を走るこの馬に勝てる馬はいない。
馬が与えてくれた自由を関羽は喜んだ。

馬もうれしかった。
自分が乗り手の喜びになることがうれしかった。
馬は星空の下を走りに走った。

この馬の名前を赤い兎と書いて赤兎(せきと)といった。
やがて関羽が死んだあと、
赤兎は絶食し自ら命を絶ったと伝えられている。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP


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