ネジ
祖父はネジ屋の社長だった。
正確に言えば、ネジ問屋の社長だった。
中学を卒業してから奉公に出て、
そこで何年か修行したり、
戦争に駆り出されたり、
おそらくほかにも色々とあった後、
祖父はネジ問屋を作った。
僕の知る限り、
祖父の作った会社は
規模を拡大することも縮小することもなく、
現在も律義に大阪は立売堀(いたちぼり)に建っている。
税金の払いが明瞭で何回か表彰されたことが、
祖父の社長としての自慢だった。
自慢とは言っても、
祖父自身がそんなことを口に出すことなどなく、
その話は母に聞いた。
中学くらいの頃、
祖父母と観覧車に乗ったことがある。
横浜港のそばにある、
当時世界一大きかった観覧車だ。
僕と祖母は窓から外を眺め、
「小さいねえ」
とか、
「綺麗だねえ」
とか普通のことを言っていたのだが、
その時祖父は窓から
支柱のボルトやナットを見つめ、
「やっぱり硬いネジ使うとるなあ」
などと呟いていた。
ボルトやナットには記号が表示されていて、
一目でその硬さが分かるのだそうだ。
こんな高い所まで来て何を見ているのだろう、
と僕は思ったが、
自然に仕事の目になってしまう祖父は
少し格好良くもあった。
足を骨折した時もそうだった。
太ももの一番太い骨を折って
けっこう大がかりな手術が必要になり、
骨をボルトだかナットだかで
固定することになったのだが、
手術前、祖父は痛みから来る脂汗を
額に浮かべながらそのネジをじっと見つめ、
「まあ、これならええやろ」
みたいなことを言い、
安心して麻酔されて手術室に入っていった。
それから十数年。
先日、祖父の葬儀があり、
火葬された後の足の骨には、
その時のボルトだかナットだかが
きっちりと埋まっていた。
とはいえ、
癌が最終的に骨に転移した祖父の骨はもろく、
手でネジを回すとぽろぽろと崩れて、
簡単に外れてしまった。
薄い骨に不相応な長いネジ。
祖父は死んだが、ネジは残った。
「硬いネジ、使うとるなあ」
僕はそのネジを指できれいに拭い、
骨壺の中にこっそりと入れた。
出演者情報:菅原永二 http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp8894