「家出」
母さんとケンカして、僕は家を出た。
勉強したくないとか、そういう子供っぽい理由ではない。
信念と名誉のために僕は家出したのだ。
ポケットの中には望遠鏡を買うために貯めていたお金が
たっぷりと入っているし、僕に迷いはない。
遠足の弁当、それがすべての原因だ。
あの日、熱を出し寝込んでいた母さんに変わって、
姉ちゃんと父さんが弁当を作ってくれた。
確かに、ヒドい弁当だった。
メインのおかずは紅生姜入りの炒り卵。
その隣には半分に切られたゆで卵。
そして、白いご飯の上には巨大な目玉焼き。
蓋を開けて僕は一瞬止まった。
その時、よりによって高橋が弁当をのぞき、
「岡田の弁当、卵だらけだぜー」とからかってきたのだ。
二人をけなされたような気分がして、
僕は気づいたら高橋の胸を両手で突いていた。
怒った高橋は、僕に強く体当たりした。
そのケンカはあっけなく先生に止められ、たっぷりしぼられた。
互いに謝れと言われたけど、
僕は二人の名誉のために戦ったんだからと、ずっと口を閉じていた。
しかし学校から電話をもらった母さんは、
僕が家に帰るとすぐに頭ごなしに怒りだし、
高橋の家に行って謝ってこいと言いだしのだ。
そういうわけで僕は現在、家出中なのである。
しかし家出って、正直退屈だ。
その名の通り「家を出る」ということがゴールなので、
始めた途端にその目的が達成されてしまうからだろう。
最初はナベっちの家で遊んでたけれど、
「そろそろ夕飯だから」と帰されてからは、
こうやって公園でDSをしながら時間を潰している。
そうだ、僕も夕飯にしよう。
スーパー吉得に行って、コロッケを持ってレジに並び、
ポケットを探った。その瞬間、全身がヒヤッとした。
「ない…!」そこにあるはずのお金がないのだ。
レジのおばさんがじろじろと見てくる。
僕は慌てて吉得を出て、改めてポケットの中を探った。
やっぱり、大事なお金が消えている。
そういえば、商店街を歩いているときに
おじさんが強くぶつかってきたけれど、
あれはもしやスリだったのではないか。
望遠鏡代、いや、僕の大事な生活費が…。
あてもなく歩きながら、僕はグウグウと鳴るお腹をおさえていた。
すると突然、おいしいカレーの匂いが漂ってきた。
よだれを垂らしそうになりながらその家に近づくと、
窓の向こうの黄色い灯りの下でうっすらと人影が動いている。
人影はぜんぶで4つ。僕んちと一緒だ。
暗闇の中、その窓の周りだけが暖かいような気がして、
僕はそこを動けないでいた。
その時、自分の名前が呼ばれたような気がして顔を上げた。
道路の奥のほうで、細い灯りがゆらゆらと揺れている。
しばらくすると真っ暗闇の中から、「ぬっ」と母さんが現れた。
手には懐中電灯を持っている。ゆらゆら、ゆらゆら。
僕は信念も名誉も闇の中に放り出し、
その灯りへと猛ダッシュしていた。