岩崎俊一 2012年2月12日

夜汽車
 
         ストーリー 岩崎俊一
            出演 大川泰樹

 二階の部屋でひとりで寝るようになって、二日目の夜だった。
 なかなか眠りに入れないまま、何度も寝返りを打つマモルの耳に、
遠くから思いがけない音が届いた。
あまりにもかすかなので、初めは何の音かわからなかった。
カタンコトン、カタンコトン、カタンコトン、カタンコトン。
 汽車か。
 まちがいなかった。そのしばらくあとに汽笛が聞こえたのだ。
そうか、夜汽車か。この家には夜汽車の音が届くのか。
 階下の奥の部屋で年下の兄弟たちと寝ている時には
まったく気づかなかったその音に、
九歳のマモルは、生れて初めて切ない疼きを知り、
その胸は激しくふるえた。
 マモルの頭に、ある映像が浮かんだ。
 両側を、畑と樹木研究所の森に挟まれた鉄路を進む、
長い長いSL列車。あたりは漆黒の闇である。
うす暗い客室にはまばらな人影があるものの、
室内はシンと静まり返っている。
ある者は静かに目を閉じ、ある者は何も見えるはずのない窓外に目を凝らし、話す者さえ囁くように言葉を交わすだけだ。
 中に、若い母子連れがいた。
子どもは、小学生の帽子を被り、小柄で痩せていた。
ふたりはひっそりと身を寄せあい、
人の目から逃げるように顔を伏せている。
 マモルを動揺させたのは、その母親だった。
マモルの母にとても似ているのだ。
伏せた顔からはわかりづらいが、その丸くひっつめた髪も、
痩せた肩も、冬になるとひび割れる手も、マモルの母そのものだった。
それが空想だとわかっていても、
マモルの動揺はなかなかおさまらなかった。

 マモルの父と母の間では、しばしば諍いが起こった。
何が原因であったか、幼いマモルには知りようがなかったが、
その諍いは、マモルの小さな胸を耐えがたいほど暗くした。
 父の喧嘩のやりかたは執拗だった。
母を小突き、時には感情を爆発させ、
時にはねちねちと母の非を言い立て、
あかりをつけない台所に、泣く母を追いつめた。
マモルが母を守ろうとすると、父につきとばされた。
マモルの行為は単に父の感情を煽るだけで、
事態の鎮静に役立ったことは一度もなかった。
子どもなんて何もできない。何の役にも立たない。
マモルは、その時、父を憎むと同時に、自分が子どもであることに絶望した。
 夜汽車の中の母は、少年の肩を抱きながら、ピクリとも動かない。
マモルは布団の中で考える。
マモルの母は、この夜汽車の母のように、この家を出て行くのだろうか。
それとも、僕が大人になるまで待てるのだろうか。
 夜汽車は果てのない夜を進んで行く。
 そのヘッドライトが照らす闇には何もなく、
ただ二本のレールがはるか先まで続いているだけだった。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP


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