日暮れどき、土手の上に
日暮れどき、川の土手に立つと
汽笛を鳴らして下流の鉄橋を渡る列車の音が聞こえた。
鉄橋は長く、汽笛もまた長い尾を引いた。
列車の向かう北の方角には遠い山並みが青く霞んでいた。
川は西から東に向って流れ
土手の道もまた東西に延びていた。
夕陽は西の山に沈み、カラスは南の山に帰っていった。
あの頃は目に見える景色だけが明るく開けた場所だった。
僕は鉄橋を渡る列車の行く先を考えたことがなかった。
日暮れどき
僕はよく土手の上にいた。
列車の音が広い空に消え、夕焼けの最後の光もなくなってしまうと
土手の道は暗く沈んで
鉄橋の手前に架かる橋の灯りが浮かび上がった。
僕はその橋を自分から進んで渡ったことがなかった。
橋の向こうは古くから開けた土地で、遺跡が多かった。
奈良時代には役所が置かれ、条里制に従って道がついていた。
古墳があり銅鐸が出土した。
僕のじいちゃんはその土地で生まれ
ご先祖のお墓も橋の向こうにあったのに、僕は橋を渡るのが嫌だった。
どうしてだろう。
どうして僕はあの橋を渡らなかったのだろう。
じいちゃんの若いころの武勇伝がある。
橋の向こうの名主の息子だったじいちゃんが
キツネに化かされた村人を助けたのだ。
それは他愛もない昔話だ。
けれどもその他愛のない話から浮かんだ風景は
提灯がなければ歩けないほど闇につつまれた道だった。
その道端にはつかむと手を切る草が生え、
田圃の用水路の草むらには蛇の目が光っているのだった。
そして、キツネは本当にキツネだったのか。
橋の向こうでは、人と人でないものが
あまりに近い距離で暮らしているように僕には思えた。
ある日、橋の向こうから学校に来ていた同級生のお父さんが死んだ。
隣のおっちゃんが突然狂って鎌を持って暴れ出し
それを止めようとして斬り殺されたのだという話が伝わってきた。
人が殺せるほど鋭く研ぎ上げた鎌…
その鎌を手にして自分の家族と隣人に襲いかかった隣のおっちゃんは
本当に人だったのだろうか。
じいちゃんはその土地を捨て、村を捨て
山も田圃も売り払ってキツネやタヌキや蛇の目と縁を切り町へ逃れ
若くして死んだ。
死んだときは家の軒先から火の玉がふわりと浮かんで空へ昇ったそうだが
たぶん古い土地の名前や
土地にしみついた2000年を越える人の営みの匂いや妄執や
人でないものとの近しい距離は
じいちゃんと一緒に空にかえっていったのだろう。
僕はすでに匂いの希薄な町で長く暮らし
夜の暗さや知らない土地への恐怖を忘れてしまったが
それでもときたま夕暮れの橋の灯りとその先の鉄橋の列車の音を
思い出すことがある。
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