安藤隆 2012年9月2日

なでしこってどんな花?

       ストーリー 安藤隆
          出演 清水理沙

「なでこ、なでこ、行けー、行けー、なでこー」と監督が叫んでいる。
 行けーというのは、前へ行けという意味のことも、戻れ、守れという意味のこともある。どっちの場合も行けーとしか言わないのだ、監督は。でもいまの場合、なにをすべきかははっきりしていた。わたしは相手フォワードに猛然とタックルに行った‥。
 わたしの名前は鬼瓦(おにがわら)撫子(なでしこ)。屋根の鬼瓦に、撫でる子と書く。撫でる子と書いて、なでしこと読むのは、お花の撫子と同じだ。わたしは小学校四年生の女。四年生だって女だ。
 撫子の名前にこだわったのは母だと聞いている。苗字が怖すぎるから名前は優しくしたいと、父に言い張ったそうだ。母の名前は鬼瓦勝代(かつよ)。もともと強そうなのに、鬼瓦なんて苗字の男と結婚したから、ほんとに迷惑してる、と母はいつも嘆く。
 その母が、寝物語に、教えてくれた。撫子はね、別名大和撫子という花で、控えめだけど芯が強い日本女性のたとえなんだよ。色はね、ピンクがいちばん多くて、白もあって‥。わたしは途中で、寝てしまう。
 母ががんばった撫子という名前が、わたしは好きではない。控えめだけど芯が強い、というのがひどく苦手だ。撫でる子という字もいやだ。母もわたしが「なでこ」とあだ名されることになるとは、想像してなかっただろう。
 それでもわたしがなでしこジャパンに憧れて、女子サッカーチームに入ることになったのは、自分の名前のせいだった。はじめて自分の名前が許せたから。体は小さいけどすばしこいわたしに、監督ははじめから目をかけてくれた。いまではチームのフォワードだ。
 土曜日は多摩川の川原で練習か、試合がある。今日は試合だ。
 グラウンドは、川原の草花に囲まれているけど、中は芝が禿げて、タックルすると土が舞う。わたしが体当たり気味にボールを奪ったら、相手の、体も学年も上の女が、わたしの足を蹴って「この野郎、殺してやる」と言った。
 わたしはなでしこジャパンでは、川澄奈穂美選手がすきだ。母から聞いた撫子の花のイメージと比べると、派手で、白い花というより、ピンクの花という感じだけど。
 といっても、わたしは、実物の撫子の花を見たことがない。控えめだけど芯が強い、と母から聞いて、頭に描いた撫子のイメージが、小さな白い花だった。かすみ草か何かのような。それからずっと、白い花だと思っている‥。

「行け、行け、なでこー」と監督の声が聞こえる。わたしは前へ走る。するとキャプテンの宮間(きゅうま)さんが、絶妙のバックパスを、ゴール前に流す。わたしは走り込み、角度のないところからゴールへ蹴る。その角度は、川澄奈穂美選手の得意とする角度だ。ということはわたしも、練習を重ねた角度だ。ディフェンスに倒されながら、ボールを蹴り込む。球がゴールへ向かってゆく。入る前から入ることがわかる。倒されたわたしの目の前に、ピンクの小さな花が、一面咲いている。花びらの先端が、細かく優雅に裂けて、ひらひらしている。あ、この花は前からすきだった。この花はなんという名前の花だろう、とわたしは思う。

出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/



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