10月の秋山郷は
10月の秋山郷は青い宝石のような空が広がっていた。
その宝石の下に赤や黄色の紅葉があった。
秋山郷は、新潟県と長野県にまたがる山里で、
頂上に湿原をいただく苗場山と
ノコギリの歯のような厳しい姿の鳥甲山にはさまれた谷間に
現在では13の集落が散らばっている。
なぜこんな土地に人が住み着いたのかわからない。
平地はほとんどなく、一年の半分は雪に埋もれている。
山の急斜面の木を伐って、粟や稗、蕎麦や大豆を育ててはいるが
食料が足りたことはなく、飢饉の年は多くの餓死者がでて
集落がまるごと滅びることさえあった。
北越雪譜を書いた鈴木牧之が秋山郷を旅したのは1828年のことで、
宿がないので民家に頼み込んで宿泊を重ねていた。
どの集落にも米がなく、人々は粟や稗や栃の実を食い
木の皮を煮出したような渋茶を飲んでいる。
持って行った米を渡しても炊きかたを知らないし
お茶はとても飲めたものではない。
どこの家でも寝るときになると着の身着のままごろりと横になる。
布団というものもないから、夜が寒くて寝られない
そんな愚痴をこまかく書き連ねながら旅をつづけていた三日め、
女に会った。
そこは和山という集落で、女は昼食のために立ち寄った家にいた。
集落といっても5軒の家がまばらに点在するだけで
その一軒に上がって火を借り、お湯をもらって
持参の焼き米を流し込むだけの昼食である。
女は年のころ三十前後、
髪は無造作に結わえただけで
膝までしかない丈足らずの着物を着ており
その着物さえ綻びて白い肌がのぞくような身なりだったが
美しさは雨に濡れて匂い立つ芍薬のように思えた。
もしもあなたが、と
牧之は女に言わずにはおられない。
もしもあなたがこの紅葉のような錦に身を包み
髪には玉の簪を飾れば
妃の位を望んでもおかしくはないでしょう。
しかし女は自分の姿を見ることさえできない。
鏡というものを持つ女は秋山郷全体で5人しかいない。
女は外からの人も滅多に来ない深山幽谷に生まれ
その美しさを誰にも知られることなく
この山中で年を取り朽ち果ててしまうのだ。
それがわかっていてもできることはなにもない。
女に心を動かしてもどうすることもできない。
それでも鈴木牧之の秋山記行には女との出会いが詳しく描かれ
我々はいまそれを読んで、
秘境秋山郷の美しい人を想像することができる。
鈴木牧之の秋山記行から9年めに女は死んだ。
天保の大飢饉の最後の年だった。
和山の集落にあった5軒の家ではほとんどの人が餓死してしまい
生き残ったのはわずかに男女ひとりづつだけだったという。
それにしても、匂い立つ芍薬にたとえられた女が飢えて死ぬとき
どんな姿を見せたのだろう。
山の芍薬は身を投げるような姿で白い花びらを散らす。
出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/