池田成志が紀伊國屋演劇賞受賞ということで
受賞パーティの引き出物だと思われる白扇をいただいた。
右に賛がある。
「わざおぎへ えど平成の 美かん船」
「えど平成」は誰でもわかる。「美かん船」はみかん船で、
江戸時代の伝説の豪商紀伊國屋文左衛門が紀州からみかんを運んで
財を築いたことにちなんでいるが、
紀伊國屋演劇賞を主催している紀伊國屋書店と
紀伊國屋文左衛門は実は何の関係もない。
何の関係もないけれども、みかんが不足していた江戸へ向けて
嵐のなかを船を出し、紀州からみかんを運んだ文左衛門は
一躍江戸のスーパースターになったので、
同じ屋号の紀伊國屋から賞をいただくのだし、
あのときの紀伊國屋文左衛門の沸き返るようなその人気を
「わざおぎ」池田成志にという、
これは書いた人の願いでもあっただろうと思う。
さて、この「わざおぎ」だが、手短に訳すと「役者、俳優」だ。
「わざ」がいわば芸能のことで、かつての芸能は神に捧げられていた。
芸能によって神を招く、いわば呪術が「わざ」だったのだ。
そして「招く」と書いて「おぐ」と読んだ。
「おぎ」は招きであり、
芸能によって神を招くのは、アメノウズメが歌い踊って天岩戸を開き
アマテラスを再びこの世に招いたのがはじまりで、
「わざおぎ」とは芸能という呪術を使って神を招く人をいう。
さて、ここに池田成志という「わざおぎ」がいる。
実力は余るほど持っているし
面白い役者であることは誰もが認めるところだが
その経歴にたったひとつ足りないものが「賞」だった。
なぜかわからないが無冠だった。
成志が無冠というのは理不尽だったが、
本人のキャラを思うとかえってそれは面白く、
ときにはかっこいいように思えていたから不思議だ。
この国の神代の昔からつづくわざおぎの、
その賞罰を司る…といっても
近ごろは世阿弥のように島流しになった役者の話はきかないので
賞をのみ司る守護神というものがもしいたとすれば、
守護神にとっての池田成志は
タンスの向うに落ちている500円玉のような存在だったと思う。
あ、あんなところに500円玉があるな、と、いつも見えてはいるのだが
45センチくらいのモノサシで引きずり出さないと届かない500円玉。
でもあると思うとなんだか安心できて
いつしかタンス預金と化してしまった500円玉。
あそこに500円貯金しているんだから
いまこの財布の500円使ってもいいよね、みたいなことで
何度も役に立っている500円玉。
財布の500円玉よりずっと存在感があった500円玉を
「惜しいけど使たろ」と思ったのはなぜだろう。
着払いの荷物を届けに来た宅配便のお兄さんに
「500円ありませんか〜」と言われて切羽詰まったとか、
奥さんに「私がもらう」と言われてあわてたとか
いいかげんな理由しか思いつかないが
とにかくこうして成志の500円玉は守護神に引っ張り出されたのだ。
わざおぎ池田成志は、身を捨ててもおもろいことをやりたい、という
わざおぎ本来の特質を持っているが
これのどこが面白いんじゃいという批判力も旺盛なので、
後輩には慕われたり心配されたりしているのに
上には煙たがられることが多いのではないかと想像できる。
しかしまあ、その、「わざおぎ」は本来神を相手にする仕事なので、
上の人の件については、(本当はマネージャーが泣いていると思うけれども)
仕方ないということにするしかないのでしょうね、この人の場合は(なかやま)
池田成志の紀伊國屋演劇賞受賞スピーチ全文
http://www.01-radio.com/tcs/archives/25704