佐倉康彦 2014年11月16日

1411sakura

すべての亀は、台風を待っている

           ストーリー 佐倉康彦
         出演 石橋けい

キミは、
逃げました。
キミは、流れていってしまいました。

いつもなら
アタシとキミとの間には、
互いの力学の中でミシミシと拮抗し、
ぐいぐいと圧を掛け合って
身動きすることさえできない
「コリオリのちから」が働いているはずでした。
だから大きな渦なんて
激烈な波風なんて立つはずもなかったのでした。
なのにキミはやすやすとそれに乗って
流れていってしまいました。
アタシの前から、
キミは、矢庭に消えました。

時節を外した
反時計回りの大きな渦のせいで。

アタシとキミの時間は、
とても強い偏西風に煽られ
あっという間に
ふたつに引き剥がされ、毟り取られ、
キミだけが、
上へ上へと、
北へ北へともってゆかれたようでした。
ようやくふたりで、
下って堕ちて辿り着いたこの大きな街から
また、キミだけが、
あの小さな小さな芥子粒のような集落へと
逆行してゆくのでした。
北上してゆくのでした。

最大風速120ノット。
カテゴリー4の強い風が
アタシのキミを
スッカラカンに攫って(さらって)いきました。
300ミリぽっち
ペットボトル一本分にも満たない
一時間の降水量が、
アタシの黄ばんだ思いを
あらかた漂白していました。
!
キミが逃げていった、
こんなひどい朝なのに
空気はとても澄んでいて
透明な朝陽が差し込むベランダからは、
いつもよりも華奢に遠くを
見通すことができました。
ベランダで竦む(すく)
アタシの足元に蹲(うずくま)っている
蝦蛄葉(じゃこば)サボテンは、
きのうの強い雨と風のせいで
赤く染まりながら小さくうなだれていました。
アタシもうなだれたまま、
キミのいた場所を見つめました。
キミが眼を閉じ
太陽と向かい合っていたそこを。
今夜からアタシは、
何を見つめればよいのかと
軽く途方に暮れているところでした。
下を向いた蝦蛄葉サボテンも、
いずれ朽ちるだろうと思いました。

キミは、もう、
あそこに流れ着いた頃だと思いました。
逃げ帰ったキミを
アタシは責めはしないだろうと予感しました。
ただ、
そろそろ、身体も、その内側も痺れるような
季節がはじまるころだから
小さく心配しました。
けれども、
キミにとって冬は、
キミ自身なのだという思いに至りました。

キミは、北のものでした。
キミに巻き付いたアタシがここに居残り、
キミから離れていなくなっても
キミは、
北のものなのだと信じました。
北は、
その宙(そら)は、明るい星がなく黒い星ばかりでした。
黒服のキミは、
そこにしかいることができないキミでした。

アタシは、
蝦蛄葉サボテンといっしょに
キミが守護する北のほうを見通しながら
にょろりにょろりと
這いずり回ることしかできませんでした。
じきに玄冬(げんとう)でした。
ベランダには、
水場と陸場をつくったそれには、
もうなにもいませんでした。

出演者情報:石橋けい 03-5827-0632 吉住モータース

 


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