『約束の丘』
「僕の親友が、明日この世界から引退します!」
広場の真ん中で、誰かが叫んでいた。
声の主は、真っ赤な鎧に身を包んだ青年。
大きな剣を携えた少女や、通りすがりの妖精たちが、
彼の声に耳を傾けている。
「僕の親友が、就職することになりました」
「だから、明日を最後にこのゲームをやめるそうです」
そう、これは、とあるネットゲームで起こった、
ちょっとした出来事の話。
架空の世界の街なかで、彼はこう続けた。
「僕がこのゲームを始めてから、ずっと一緒に冒険してきた親友を、
最後にみんなで送り出してあげたいんです」
「明日の夜11時、町のはずれにある丘のふもとで送別会をするので、
どうかみなさん、集まってください」
たかだかゲームをやめるくらいで、ずいぶんと大袈裟な。
しかも見ず知らずの人の送別会に行く人なんて、いるわけがない。
そんな私の思いとは裏腹に、赤い鎧の青年の呼び掛けは、
明け方までずっと続いていた。
翌日、彼らのことが気になって、約束された場所の様子を見に行った私は、
信じられない光景に思わず立ち尽くしてしまった。
町はずれの丘のふもとに、何十、何百という人たちが、
たった一人の門出を祝うために集まっていたのだ。
突然、その中の一人からアイテムを渡された。
花火だ。昨日の呼び掛けに応じた誰かが、
何百発という花火を用意してきたそうだ。
キミも彼らの友達なのか、と尋ねると、話したこともないという。
なぜ、彼らのためにそこまでするのかと聞いてみた。
「このゲームが好きなもの同士だから」
そんな答えが、返ってきた。
夜11時半、丘の上に、彼らがやってきた。
真っ赤な鎧を身に纏った青年が、後ろの親友に声を掛ける。
「丘の下を見て」
そこに見えたのは、大勢のキャラクターで作られた、
「おめでとう」の人文字。
「せーの」の合図で、私たちは一斉に花火を打ち上げた。
パソコンのディスプレイの向こうに広がる、真っ暗なゲーム画面の夜空が、
無数の花火と激励のチャットで、これでもかというくらいキラキラと輝いた。
青年が親友に、最後の言葉を贈る。
「キミがいなければ、どんな魔物も倒せなかった」
「キミがいたおかげで、毎日が本当に楽しかった」
さらに青年は続けた。
「キミの顔も、本当の名前も、俺は何も知らない」
「だからきっと、もう二度と会うことはできないだろう」
「最後にこうして、ちゃんとさよならが言えて、本当に良かった」
長い沈黙のあと、親友が口を開いた。
「僕は今日でこのゲームを引退するけど」
「このゲームで遊んだ思い出は、ずっと忘れません」
「みんな、本当にありがとう。さようなら」
午前0時ちょうど。そう言い残すと、
親友のキャラクターはフッと消えた。
画面には、彼がログアウトした表示だけが残っていた。