「尻尾切り」
尻尾(しっぽ)切除整形手術が流行しだしたのは、3年ほど前のことである。
起点となったのは、意外にも40代の男性ビジネスマン。
長引く不況を抜け出せず、新しいビジネスモデルも見えない閉塞感の中、
どこかの企業が事業効率化の流れの中で、
冗談半分に始めたことだったらしい。
指示された社員もたまったもんじゃないと思うが、
意外と反対の声も少なく、
あれよあれよという間に社員全員、さっぱり尻尾を切除した。
とかげの尻尾切りと違うのは、当人が切られた尻尾なのではなく、
残った本体だというところで、
「新型とかげの尻尾きりで経営改善」と、いっとき週刊誌を賑わせた。
もちろん、とかげと違って新しい尻尾が生えてくることはないのだが。
それまで尻尾について、多くの人がちゃんと向き合ったことがなかったので、
この「尻尾切り」は、尻尾の存在意義について、
誰もが改めて考える契機となった。
市井の人々は尻尾切りに概ね好意的だった。
なくてもいいじゃん、というのがその主たる理由である。
古いタイプの人々は細やかな感情表現の手段が失われることを嘆いたが、
尻尾が自分の意図とは関係なく細やかな感情を表現してしまう方が、
当世、問題である。個人情報の流出の原因と捉える向きもあるほどだ。
キャリア志向のビジネスマンに対するセミナーでは、
「尻尾による感情表現の抑え方」が、真偽のほどはともかく、
せっせと行われている。
若者に至っては、積極的に尻尾切りに賛同する声が多かった。
運動するとき邪魔だし、尻尾の形状によっては、いじめの対象にもなる。
妙な感情や個性が見える化してしまう方が、
若者にとっては、いっそ問題で、
大人しくみんなと一緒にしていた方が安全、というわけだ。
ということで、社会的な認知と受容のフェーズを経て、
尻尾切りはじわじわと、そしてやがて急速に世間に広がっていった。
「尻尾切りブーム」の始まりである。
街場に雨後の筍のように「尻尾切りサロン」が誕生した。
物理的に切り落とすだけなので、施術自体はそう難しいことではない。
施術後、さっぱりした姿で現れる友人や同僚を見て、
施術を受ける人は、どんどん増えていった。
これを受けて、アパレル業界にも動きがあった。
尻尾チャックのない衣服の大流行である。
尻尾穴、および尻尾チャックのない衣服のつるんとしたデザインに
最初は皆、幾ばくかの物足りなさを感じたが、
そうした違和感はあっという間に薄れていき、
むしろ腹巻のように古臭いものとして廃れていった。
こうなると尻尾がある人の方が時代遅れとみなされる。
まだ尻尾なんか生やしちゃってと、眉をひそめられるに至って、
尻尾保護団体が生まれ、
尻尾を保持する権利と自由を主張する声が一時マスコミを賑わせ、
そしていつものごとく速やかに忘れ去られていった。
人々から尻尾が失われても、いい意味でも悪い意味でも、
社会に目に見える影響はほとんどなかった。
くだんの「尻尾切りで経営改善」を掲げた会社は、
やみくもな経営の効率化がたたって、しばらくして倒産したらしい。
皆、これまで通りの日常を、これまで通り過ごしていた。
多くの人が尻尾切りを完了し、ブームもひと段落ついたある日、
ある私立大学の社会学教授が
「尻尾切りブームによる日本社会の変化と遷移について」という
論文を発表した。
そこには、尻尾切り以前と以後では、
人々の意識と行動に有意な変化が見られることが、
データとともに示されていた。
様々な事象に対する突発的な行動惹起度が上がっている、というのだ。
つまり、簡単に、一言で言えば、
「人々が前のめりになっている」と教授は語る。
恐らくこれは、尻尾を失ったことによって、
重心が前がかりになっていることに起因していると教授は分析し、
さらなる追加調査によって仮説をさらに検証していく、と
論文は締めくくられていた。
確かに、社会的には「前のめり」とも思われるような出来事が
増えているように思えた。
それまで盛んに騒がれていた効率化は
そのスピードをさらに上げているように見える。
個人や集団の意図が先行して、
調査や分析が十分でないまま物事が進行するケースが散見した。
決断と行動のスピードが上がった、というポジティブな意見も多かったが、
こと、憲法改正問題が議会の承認を得ぬまま、
ものすごいスピードで進行していくに至って、
一定数の人々の中に疑念が芽生えた。
いくらなんでも前のめりすぎはしないか、と。
しかし尻尾がなくなることによって重心が移動した人間たちは
もはや、前のめりの姿勢に抗うことはできない。
好むと好まざるに関わらず、思考を司るのは肉体なのだ。
憲法改正を含む様々な重要事項決定のプロセスが、
どんどん前のめりになり、決断のスピードは上がっていった。
この加速感を危ぶみ、熟慮と再考を求める声も各所で聞かれたが、
これらもまた前のめりな意見によってことごとく踏み潰され、
日本は行方の知れぬ未来に向かって脇目も振らずに疾走し始めた。
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