菜の花ピクニック
同僚のふじこさんと一緒にピクニックに行った。
ピクニックなんて何年ぶりかだ。
去年の暮に父が死ぬまではそれどころではなかったのだ。
「さちえさんはお父さまのお世話で大変だったわね」
「ええ、でもやっと死んでくれたから。これからは人生を楽しむわ」
海の見える駅で特急を降りて、私たちはバスに乗った。
春である。
民家の庭の梅が美しく咲いている。
「ねえねえ、あそこ」
とふじこさんが梅の咲いている家を指差す。
「ええ、梅の花きれいね」
「じゃなくてあの看板。房総名物アジフライ定食って書いてある」
「ああ」
ふじこさんは天然だ。
「帰りにあれ食べていきましょうね」
私はフライがあんまり好きではない。
天然でKYのふじこさんのこともそんなに好きではない。
「ねえねえ、あそこ」
今度は何の看板だろうと外を見ると、
「梅の花、きれいね」
「ああ」
「どうして花は毎年新しく咲くか知ってる?」
ふじこさんは語りだした。
知るもんか。
「花は死んだ人間の生まれ変わりなのよ。
地球上のすべての花が実はそう。
前の年に死んだ人が花になって咲くの」
ふじこさんの話を整理すると次のようになる。
人は死んだら、神さまからどんな花に咲きたいかと訊ねられる。
アサガオでもアザミでもヒマワリでもシクラメンでもなんでもオーケー。
神さまは願いを聞いてくれる。
ちなみに日本人の希望でいちばん多いのは桜だそうだ。
でも、どんな花がいいかと聞かれても、すぐに答えられない人もいる。
そういう人にはおまかせコースというのが用意されているそうな。
神さまの助手の天使たちが、帳簿をつけながら、
必要な花の数を満たせるように割り当てていく。
一番多く割りふられるのが菜の花なのだそうだ。
そこら中にいっぱい咲いている菜の花は、多すぎても困らないので、
数合わせとして使われるのだという。
「でも咲いてみると、案外菜の花って悪くないのよ。
ぽかぽかと陽のあたる丘の上にいて、春風は気持ちがいいし、
それになによりあの色。
あの黄色を身にまとうだけで愉快な気持ちになって
つい笑ってしまうらしいのね」
丘の上のバス停で降りると、あたりは一面の菜の花だった。
白いワンピースをひらひらさせて歩くふじこさんの後を歩きながら、
そういえば何年も花のことなんか考えたことなかったな、と思った。
サラリーマンだった父は、ある日突然会社をやめて帰ってきた。
仕事もしないで昼から酒を飲んで家族にやつあたりをするようになった。
家の中は真っ暗。弟が家出をし、母が離婚して、私だけが残った。
脳梗塞で倒れて半年寝たきりになった後、父はやっと死んでくれた。
そのときはしんそこうれしかった。
父の死後、あちこちから借金が出てきた。
私はそのお金を払うために、自分の積立貯金をぜんぶ下して、
退職金まで前借しなければならなかった。
もう一度父に会ったら、一発殴りたい。
ふと思った。
父は花の名前なんか一つも知らなかっただろうな。
神さまに聞かれたときに何か気の利いた答えをしたとはとても考えられない。
そのとき足もとの菜の花の中から誰かが見つめている気配がした。
私が振りむくと、それは目をそらした。
私はしゃがんで、1本の菜の花を指でつまんだ。
「ここにいやがったか」
ぶん殴ってやろうと思ったとき、
その花が気弱そうに笑っているのに気がついた。
父が笑っている。
私もつい笑ってしまった。