鬼の刀~菖蒲湯伝説
もう桜も咲いたというのに雪が降った寒い日の晩。
嘉七の家の前で人の気配がした。
戸を開けて見ると見慣れない男が一人。
身なりはぼろぼろだが腰に刀をくくりつけている。
飯を食わせて欲しいという。
「ただでとは言わん」
といって腰の物に手をかけた。
嘉七の背中で妻のみつと息子の小太郎が悲鳴をあげた。
男は刀を鞘ごとはずして嘉七に手渡した。
「これをやる」
勝手に中に入って床にあぐらをかいた。
嘉七は刀など欲しくはなかったし、帰ってくれと言いたかったが、
機嫌を悪くして暴れられては困る。
ここは飯を一杯食わして穏便に去ってもらおうと決めた。
「ごちそうじゃった」
男は満足そうに茶碗を置いた。
それから不思議なことを語り始めたのだ。
「神隠しというものがあるだろう。
子どもが突然消えたりするあれだ。
あれは神隠しというがじつは山に棲む鬼の仕業だ。
春になると鬼は人間の子どもが食いたくなるのだ。
なぜかといってもわからぬがとにかく無性に食いたくなるのだ。
七つぐらいの男の子が一番うまいという。
子どもをさらってくると河原で火を焚いてな、
鍋で菖蒲の葉といっしょに煮て食う。
菖蒲を入れるのは人間の肉の臭みをとるためである。
・・・ところで 」
と今年七つになったばかりの小太郎をじっと見た。
「この子はいくつだ」
男の眼ににらまれて小太郎がぶるっとふるえた。
その体をみつが抱いて引き寄せた。
「七つか。ふん。せいぜい気をつけろ。
しかし、いったん鬼に目をつけられたら最後、ぜったいに逃れる方法はないぞ」
そう言って男は帰って行った。
朝になって外を見ると、雪の上に足跡が残っていたが、
10歩ばかり歩いたところで消えていた。
この話を村の衆にしたところ、
「それは鬼じゃないか」
と声をひそめて言う者があった。
今年はどの子を食おうかと鬼が下見に来たというのである。
「かわいそうに小太郎は鬼に見初められたんじゃ」
そう言われて嘉七はぞっとした。
あの男は鬼だったのだろうか。
小太郎をじっと見ておったな。
あの眼はそんな恐ろしいことを考えていたのか。
「ぜったいに逃れる方法はないぞ」
男の言葉がよみがえってきた。
その日から三日三晩、嘉七は田んぼにも出ないで家の中にこもった。
床下に隠しておいた刀を取り出して、じっと考え込んだ。
あの男はなぜこれを置いて行ったのか。
鞘を膝に乗せ、表面の漆を削って下の木材をむき出しにした。
そこにヨモギの葉をすりつぶして手のひらで丹念にこすり付け始めた。
「みつ、もっとヨモギを取ってこい」
手の皮がすりむけるまで何度も何度もヨモギの汁をすり込んだ。
嘉七の手が緑色に染まり、黒く血がこびりついたのを見て、
青鬼のようだとみつは思った。
草色に見事に染まった鞘は、まるで菖蒲の葉のように見えた。
この鞘に刀を収めて、小太郎の体にくくりつけた。
「寝る時も厠へ行く時もけっしてはずすな」
恐れていた日はすぐにやってきた。
とつぜん強い風が吹いた。
家が揺れ、屋根がめりめりとはがされるような音がした。
嘉七が屋根を見て戻ってくると、もう小太郎の姿はなかった。
風の音に混じって鬼の笑い声が聞こえてきた。
小太郎は暗い鍋の中で、菖蒲の葉と一緒に水に浮かんでいた。
下から熱い湯が沸いてくる。
菖蒲のうちの一本は自分の体にくくりつけて持ってきた刀である。
湯はどんどんと湧いてきて、どんな熱い風呂よりも熱くなった。
足の裏が焼けた。
菖蒲のにおいでむせびそうになる。
意識が遠くなってきた。
父の言葉をとぎれとぎれに思い出した。
「鬼は鍋の前にいる。煮えるのが待ちきれなくて、
蓋を持ち上げて中をのぞこうとするだろう。その機会を逃すな」
目の前が明るくなったので、小太郎ははっと意識を取り戻した。
天井が少し開いている。
もうもうとした湯けむりが消えて、その向こうからぎらぎらと大きな目玉が一個、
こっちをのぞきこんでいた。
小太郎は草色の鞘から刀を抜くと、全身の力を込めて跳び上がって、
湯気たてる刀身を目玉の中心に突き刺した。
恐ろしい叫び声が山中にこだました。
嘉七は山道を急いだ。
河原まで来た時、倒れていた小太郎を見つけた。
小太郎は足の裏にやけどを負っていた。
嘉七はわが子を背負って山道を降りはじめた。
「眼を見たか」
と背中の子どもに声をかけた。
雪の日に刀を置いて行ったあの男、
あれはほんとうに鬼だったのだろうかと、嘉七は考えていたのである。
出演者情報:遠藤守哉(フリー)