磯島拓矢 2019年5月5日「駅」

「駅」

    ストーリー 磯島拓矢
       出演 大川泰樹

電車で初恋の人と再会する。
そんなことは今や少女漫画でも起こらない、なんて言ったら
少女漫画家に怒られるだろうか。
しかし、思いがけない人との再会はある。

その日僕は、大学時代のサークルの後輩と再会した。
僕は外回りの途中で、ボーっと座席にもたれていた。
目の前にはカップルらしき男女が座っている。
男は居眠りをしている。女は中づり広告を見ている。
その女の人と目が合った。
「あっ」という顔をされた僕は、「え?」と思い、
1秒後に記憶がつながった。
いたいた。サークルの一つ下だ。
名前は、名前は・・・思い出せない。
つき合っていたわけではない。好きだったわけではない。
ただただ、同じサークルにいて、
時々コンパをして、時々テニスをしただけだ。
だからと言って、名前を忘れていいわけではないのだが。

目の前の彼女は、親しみを込めて頭を下げてくれる。
僕も下げる。
何だっけ?名前は何だっけ?
焦りが顔に出ていないことを祈る。
彼女は微笑み、僕を見る。
「久しぶりだね」という気持ちを込めて、僕はうなずく。
彼女もうなずく。
しかし名前は、相変わらず出てこない。

車内に次の駅の名がアナウンスされる。
彼女が男を起こす。僕はその駅で降りたことはない。
目をこすりながら男が起きる。立ち上がる。
電車にブレーキがかかり、少しよろけて彼女につかまる。彼女が支える。
僕はそんな様子を眺めていた。
電車が止まる。男はドアへ向かう。彼女が続く。
彼女は僕の方を振り返り、男の背中を指さしながら、
唇をゆっくり3回動かした。僕はそれを読み取った。
「だ・ん・な」
もう一度頭を下げて人妻は降りて行った。

もう一度言うけれど、
彼女とつき合っていたわけではない。好きだったわけでもない。
でも、僕はこの再会に感謝した。
「だ・ん・な」
唇から読み取ったメッセージは、なぜか僕を微笑ませる。

一度も下りたことのないその駅は、
ちょっと大切な駅になった。

出演者情報:大川泰樹(フリー)


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