東口商店街の思い出
東口を出て踏切を渡ると商店街である。
駅の反対口にスーパーがあるが、家へ帰るのに遠回りになるので、
ちょっとした買い物はここですますことが多い。
食パンとか靴ひもとかオロナインとか、まあちょっとしたものである。
商店街と言っても、50メートルも歩けば店舗はまばらになり、
ありふれた住宅街の景色に紛れていく。
昔は銭湯や煙草屋、洋服屋とか、
もっといろんな店があったような気がするが、
いつの間にか店の数は減ってしまった。
そう言えば本屋もレコード屋もなくなってしまった。
また1軒、店が姿を消したようだ。
歯が抜けたように新しい更地ができていた。
左隣は金物屋、右隣にはクリーニング屋。
間口の広さは両隣と変わらないけれど、
ぽっかりと空いた空間が妙に広く見える。
貴子は足をとめた。
「ここ、何の店だったっけ」
しばらく立ち止まって考えたが、思い出せない。
すぐに思い出しそうなのに、どうしても出てこない。
歩いている人がみなよそよそしい顔をして通り過ぎていく。
何だっけ、何だっけと、貴子は自問しながら歩いた。
結局家に着くまで思い出せなかった。
この町に来てから30年になる。
東口商店街は毎日歩いたものである。
駅向こうにスーパーができるまでは何でもここで買っていた。
夫の浩一と駅で待ち合わせて一緒に夕飯の買い物をしながら帰った。
給料日には酒屋に寄ってワインを一本買った。
安売りのチラシを手に、
幼い和也の手を引いてあの店この店と見て回った。
和也の初めての自転車を買ったのもここだ。
思い出のつまった商店街。
わたしが生きていた場所。
知らない店などあるものか。
それなのに思い出せないのである。
金物屋とクリーニング屋の間にあったはずの店。
薄暗くなった台所で、貴子は明かりもつけずに座っていた。
テーブルの上には買い物かごが置いたままだ。
もうすぐ和也が予備校から帰ってくるはずだ。
そしたら和也に聞いてみよう。
しかし今日に限ってなかなか和也は帰ってこなかった。
夫の浩一の方が先かもしれない。
浩一はいつものように冷蔵庫を開けながら、
当たり前のように教えてくれるだろう。
12時を回っても浩一は帰ってこなかった。
貴子は不安になった。
目を閉じると昼間見た更地の風景が浮かんでくる。
胸の中にぽっかりと穴が空いて、だんだん広がってくるようだ。
その穴に貴子も東口商店街もこの町もみんな飲み込まれていくようだ。
浩一と和也はこのまま帰ってこないかもしれない。
テーブルの上には空っぽの買い物かごが置いてあった。
冷蔵庫の中にビールは1本も入っていない。
貴子は思った。
もしかしたら、
浩一も和也もはじめからいなかったんじゃないだろうか。
わたしはこの町で生きてなんかいなかったんじゃないだろうか。
そんな気がしてきたのである。