ちょうつがいの恋
もうずいぶん長いこと
ちょうつがいをやっております。
ドアの横の角にはりついて
もっぱら開け閉めをやります。
閉まっているときは見えなくなる、
そんなはかない身の上ですけれども、
わたくしがいなければドアは開かないし、
閉まらない。ささやかな矜持だけは
もちあわせております。
円滑に開くのも、
確実に閉まるのも、あたりまえ。
あたりまえをあたりまえにする、
静かななりわいですが、
時々、こころにさざ波が立つことも
ないわけではありません。
わたくしの位置から
斜め右を見下ろしたところに、
赤い郵便受けがありました。
そのフタに住んでいる金色のちょうつがい。
まばゆい光を放っていました。
わたくしども重いドアのちょうつがいの、
武骨なつくりとちがって、
なんとも華奢なからだつき。
ついつい見とれて、開け閉めをおろそかに
することもありました。
恋をしたちょうつがいは、ネジがゆるむのです。
ところが、赤い郵便受けのちょうつがいは
地面近くにおかれた黄色い牛乳受けの
鉄のちょうつがいに恋をしていたのです。
黙々と働く、無口な青年でした。
飾りのついた金色と、質素な黒い鉄。
正反対なのにお似合いのふたりは
やがて子をなします。
母親似の、金色の女の子でした。
それからどれくらい経ったでしょう。
わたくしがネジを固く締めなおし、
数えきれないくらいたくさん
ドアの開け閉めを繰り返すうちに、
黄色い牛乳箱の黒いちょうつがいが
失踪しました。
門の扉の真鍮のちょうつがいと
駆け落ちしたのでした。
「牛乳箱には荷が重すぎたのか。
赤い郵便受けの金色の女なんて」
「こんどは似た者同士かもしれないね」
「ふたりは文字どおり番いになって、
いっしょに飛んでいってしまった」
「この世のすべてのちょうつがいは
かつて蝶だったから」
「恋をしたちょうつがいは
蝶にもどれるってほんと?」
あることないこと人は噂しました。
金色のちょうつがいは
みるかげもなく錆びついて、
開けるたびに軋むようになって、
やがてお払い箱になりました。
長いことドアのちょうつがいを
やっておりますと、
いろんなできごとの出入りを
いやでも見ることになります。
こころを開けて閉めて。
あたりまえのことを
あたりまえにつづけることの
うつくしさと残酷さ。
それからしばらくして
赤い郵便受けに
新しいちょうつがいがやってきました。
いつか見たような、
まばゆいばかりの金色。
あらかじめ備わった優美さ。
捨てられたあのちょうつがいの
忘れ形見にちがいありません。
そう気づいたとき、
こころのネジが
すでにゆるみはじめています。
わたくしはときどき
わからなくなるのです。
ここは出口なのか、入り口なのか。
出演者情報:遠藤守哉(フリー)
こんばんは、守哉さん、皆さん。
今日、とても悲しいことがありました。
でもここに来て、守哉さんの朗読が更新されていて、癒されました。
私は間違いなく、守哉さんに恋してるんだと思います。
癒しをありがとうございます。
いつか守哉さんにお逢いしたいなぁ…。