「ある男の転職について」
この仕事を辞めよう。彼は思った。
男の仕事は、配達業だ。
しかし、“配達業”と一言で片付けられるほど、
それは簡単な業務ではない。
なんせ、世界中の子どものいる家に出向き、
一軒一軒、届け物をしなければならないのだ。
それも、たった一晩で。
そもそもが無茶な話なのだが、
彼の太っちょのボスは「不可能なんてない」が口癖。
まあ結局、毎年1軒も漏らさずに、
きっちりと配達しているわけなのだが。
もちろん、子どもたちの喜ぶ顔は嬉しいし、やり甲斐は大きい。
配達が終わってからのひと月は、特別休暇だってもらえる。
しかしそれを省けば、1年のほとんどは、
1晩で配達するための足腰を鍛えるトレーニングに始まり、
おもちゃの手配、新しい子どもの名簿作成、
あるいは、子どもから大人になった人の卒業リストを整理など、
やることは多岐に渡る。
また、品行方正でいなければならない、というルールもある。
子どもたちの夢を壊さぬよう、酒・タバコ・賭け事の類は一切禁止。
万が一、事故を起こす危険性もあるからと車の運転も禁止。
そのほか、SNSでの発言にもチェックも入れられるし、
付き合う仲間にも口出しをされる。
また、配達では戦場を回ることもあるので、
一通りの戦闘訓練も受けなければならない。とにかく、ヘビーなのだ。
この仕事は、子供の頃からの夢だった。
面接でボスと初めて顔を合わせた瞬間、
憧れの人に出会えた喜びと緊張から倒れそうになったことを、
男は、昨日のことのように覚えている。
なにもかもが新鮮で、ワクワクして、ドキドキして、
毎日はあっという間に過ぎていった。
気づけば、男はすっかりベテランになった。
若くてイキのいい新人は、毎年入ってくる。
いつまでこの仕事を続けるのか。いや、続けられるのか、
そんな思いが頭をもたげた。
家族との時間を優先して、新しい仕事を始めるべきかもしれない。
今年の夏が過ぎた辺りから、その思いは一層強くなっていった。
ボスに、なんて告げようか。きっと落胆するだろう。
感情的になるだろうか。
あんな穏やかな彼を怒らせたり悲しませたりするのは、
想像するだけで気が滅入る。
けれど、こんな思いを抱いたまま、この仕事を続けるわけにはいかない。
それは、ボスにも仲間にも子どもたちにも失礼なことだから。
男は、今年のクリスマスを最後に引退することを決意をした。
クリスマスプレゼントの配達は、キリバスから始まる。
ここは、太平洋に浮かぶ島々から構成された国で、
世界でいちばん早く朝を迎える国であり、
また、クリスマス島のある国としても知られる。
ここから世界中をぐるっと回りながら、
的確に、そしてスピーディーに配達を進め、最後はアメリカ領サモアへ。
そして、旅は終わる。
とはいえ、配達が終わってもすぐには家に戻らず、
1年の苦労を分かち合うために皆で祝いの酒を酌み交わすのだ。
年に一度、この仕事に関わる関係者すべてが、唯一酒を飲める日。
彼は、この日にボスに打ち明けようと決めた。
酒が入り、ややほぐれた状態であれば、きっとうまく伝えられるはずだ。
「ボス、話があるんです。」
打ち上げがひと段落した頃を見計らいボスに声をかけると、
ボスはたっぷりとした髭を触りながら、「今年もお疲れ様」と
男のグラスに酒を注いだ。
「あんなことが起きて今年はどうなってしまうのかと思ったが、
どの子どもたちも元気そうで何よりだったな。」
「そうですね。世界で同時に起きた危機でしたからね。大変な年でした。」
「こういう時こそ、我々の仕事の真価が発揮されるんだ。
僕らが届けるのはおもちゃだけれども、
本当に届けているのは笑顔や心からの安心なのだから。」
「だからこそ、戦場へも回るんですよね。」
「当たり前だ。戦争が日常という子どもにこそ、
僕らのプレゼントを届けなくちゃいけないんだ。
そもそも戦争というのは大人たちのエゴで……」
ボスの話に、どんどんと力が込められる。
自分の話題にどう持って行こうかと男が思いあぐねていると、
そろそろスピーチの時間です、と仲間がボスを呼び出し、
そのままパーティーは最高潮の盛り上がりを見せ、
そして、お開きとなった。
男は、飲みつぶれてしまった仲間たちの身体を慎重に避けながら、
散らかった会場をあとにし、とぼとぼとロッカールームへと向かった。
休暇が明けたら、真っ先にボスを呼び出そう。
そして自分の思いを、率直に話すんだ。
彼のことだ、きっと分かってくれる。まあ、時間はかかるかもしれないけれど。
くたびれたロッカーの前に立ち、いつものようにダイヤルを回し、
扉を開けた瞬間、思わず声が出た。
「なんだ?」そこには、見慣れない簡素な箱。
おそるおそる取り出すと、さほど重くはない。
このご時世、正体不明の届け物には用心するに越したことはないが、
ここは職場のロッカー。
このクリスマスオフィスのセキュリティは、かなり強固だ。
大丈夫、酔った誰かのほんのいたずらだろう。
思い切って、その箱を開けてみたところ、
そこには手紙が入っていた。差出人はなし。
男は、ビリビリと封を破いた。
やあ。52年と156日間、これまで本当にありがとう。
君のおかげで、真っ暗な夜道も、深い霧も、吹雪でさえも、安心して先を急ぐことができた。
その真っ赤に光る鼻とタフな足腰のおかげで、たくさんの子どもたちを笑顔にできたんだ。
長いこと縛りつけてしまい、本当にすまなかった。
楽しい時間をありがとう。君の新しい門出を祝して。僕の最高の相棒、ルドルフへ。
それは、ボスからの手紙だった。なぜ何も言ってないのに、
僕が辞めようと考えていたと分かったんだ?
……いや、あのボスのこと。それくらいわけないだろう。
それは、この僕が一番わかってることじゃないか。
世界のヒーローであり、不思議な魔法使いであり、人生の憧れの人。
サンタクロースに、不可能なんてひとつもないのだから。
ボス・サンタクロースとのこれまでの日々を振り返り、
流れ落ちる涙を拭こうとしたそのとき、もう一通の存在に気づいた。
先ほどよりもやや丁寧に、男は封を破った。
君のことだから、まだこれからの進路は未定なんじゃないだろうか。
余計なお世話だとは思ったが、僕が手伝えることはないかと、いちおう目星はつけておいた。
もちろん、引き受けるも断るも、自由だ。東京のことは、覚えてるかい?
あの場所に、東京タワーという建物があってね。
そこで街を照らす手伝いをしてほしい、という話が出ているんだ。
世界的な運動の祭典が中止になるかどうかの瀬戸際だったり、
まあ、最近元気がなくなってきているようでね。
君の力がきっと役に立つだろう。
もちろん、ソリを引くよりは体力は必要ないと思うよ(笑)。めいっぱい、照らしてきておくれ。
サンタクロースより
「あの、赤鼻のトナカイがやってくるらしい」という噂で、
いま、東京の街は騒がしくなっているという。
出演者情報:遠藤守哉(フリー)
あけましておめでとうございます!
今年もいい作品、よろしくお願いします!