中山佐知子 2021年4月25日「春」

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

まだ冷たい地面から
最初の青草の一本が顔を出すと
硬く張り詰めていた空気が少しだけ緩む。

その緩んだ空気を持ち上げるように
土が動いたかと思うと
早起きの蟻が冬眠から覚めて動きはじめる。

太陽が顔を出している時間がだんだん長くなって
早咲きの木の花が咲く。

春の最初の雷が鳴って雨が降る。
地面を覆った枯葉の中からたくさんの緑が見える。

ハコベの白い花が咲く。
紫のケマンソウ、黄色いノゲシ、母子草。
スミレ、カラスノエンドウ、ヤマブキソウ。
庭で蜥蜴を見かけるようになる。
蜥蜴は真っ白に咲きそろった二輪草の茂みへ逃げた。

ヤマシャクヤクの蕾が大きくなっている。
その上にレンギョウが黄色の花弁を散らしている。

春は祭りに似ている。
躊躇なく目覚めて動き、
惜しげもなく咲いて、
いっときの賑わいを楽しみ
すぐに散ってしまう。

どうして咲いてしまうのだろう。
どうして咲いて、散ってしまうのだろう。

冷たい土の下で命を守ってじっとしているときは
「生きる」という目的に向かって生きているのに、
春になるといつの間にかそれがねじ曲げられ、
みんなが、みんなで
死ぬことに向かって生きるようになる。

どうして咲いてしまうのだろう。

じっとしていれば、
生きることに向かって生きられる。
死んだとしても
生きることに向かって死ぬのであって
死ぬ目的を達成するために死ぬのではない。

それでも春が来る。
それでも春が来るとちょっといい気分になってしまう。
春は恐ろしい。
これは春の罠だと思う。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/


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