薄景子 2023年9月3日「最後の茶碗」

最後の茶碗

ストーリー 薄景子
     出演 中村啓子

長年使っていた5客揃えのごはん茶碗が
ひとつふたつと割れてゆき、
ついに最後の1個となってしまった。

もともと、実家の棚に眠っていた
親戚の引き出物をゆずってもらったもの。
結婚したとき「とりあえず」の茶碗として使い始め、
気づけば、20年以上愛用していた。

器の柄をまじまじと眺めたのは
いざ、最後のひとつになってから。
外側には淡い黄色や緑の繊細な花模様が、
内側には青い染め付けで草花が描かれている。

薄手で持ちやすく、
どこか品のある有田焼の茶碗は
日々の適当な食事を、ちょっとだけ
ちゃんとしたものにしてくれた。

青みがかった陶器の白が反射して
ごはん粒をつややかに照らす。
白米も、五穀米も、炊き込みご飯も、
静かに受けとめ、何ひとつ主張しないのに
ごはんが映えた。

しばらく別の茶碗で凌いだが、どうにも味気ない。
毎日使うものだから、気に入ったものを買いにいこう。
そう思い立ち、私の茶碗探しの旅がはじまった。

神楽坂、吉祥寺、銀座・・・
路地裏の小さな器屋から、
作家のギャラリー、デパートまで
器の世界は広くて深い。
これはいい!と思って手に取ると、とんでもない高級品だったり、
見た目がドンピシャでも、全く手になじまなかったり・・・。

散々歩き回って見つからないならと、
こんどはECサイトの検索にハマった。
「ごはん茶碗」「有田焼」など、検索ワードを重ねるたび
私のネット画面は茶碗の広告で埋め尽くされた。

そんなAI攻撃に嫌気がさした頃、ふと気がついた。

結局、私は、もとの茶碗が一番いいのだ。
だったら、この最後の茶碗の写真を撮って
画像検索すれば、どこかに存在するかもしれない。

予想は的中。画像検索ボタンをクリックした瞬間、
全く同じ5客揃えの有田焼が1件ヒットした。
しかも、1時間前にフリマアプリに出品されたばかりの、ほぼ新品。
これはビンゴ!と思って、即購入した。

数日後、立派な木箱に入った五客の茶碗が届いた。
薄紙に包まれた器をひとつずつ手にとると、
ぜんぶ絵柄が違っている。
そんなことにも、私は気づいていなかった。

最後の茶碗に、5客が加わり、
わが家のごはん茶碗はいきなり賑やかになった。
食器棚に重なりあう様子は
なんだかタイムスリップしたみたいだ。

結婚したてのふたりの食事。
人が来た時によくふるまった
鰻とごぼうの炊き込みごはん。
弱ったときに体にしみた卵雑炊。
茶碗の数だけ、いろんな記憶がよみがえる。

たいていは失ってから気づくのだけれど、
目の前にある当たり前こそ、とっておきなのかもしれない。
その尊さにふだんから気づける人になりたいが
これがなかなかむずかしい。

帰ってきた夫が、食器棚を開けて
うぉ!茶碗が増えてる!と、わかりやすく驚いた。

わが家の茶碗たちの、2周目の物語が始まった。
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出演者情報:中村啓子 俳協 所属

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