上申ステップ
長い会議が終わり、
経営層に上申するための、来年度の戦略方針案がまとまった。
口々に、やれやれ、じゃあまた、などと言いながらも、
やっと熱気がこもった会議室を出ていく参加者たち。
その顔には、濃い疲労の陰だけではなく、互いの利害を調整し、
なんとか着地できたという満足感と開放感が滲んで見える。
いい気なものだ、と山本は思う。
そう、戦略本部課長補佐、山本シゲル49歳の仕事はここから始まるのだ。
山本の仕事は、現場会議でまとめられた方針案が
スムーズに承認されるために必要なステップを踏むことにある。
もちろん、承認プロセスは、今はやりのDXによってワークフロー化され、
承認権限を持つ管理職、経営層が順に承認していけば、
自動的に完了されるようになっている。
だが、ことはそう簡単ではない。
デジタル化され、体温の抜け落ちたパソコン画面の奥には、
暑苦しい人間関係が蠢いており、
往々にしてワークフローはシステムエラーではなく、
その軋轢によってストップするからだ。
だから山本は今日も、承認権限をもつ者の間を軽快なステップで駆け巡る。
戦略本部長と戦略推進委員会事務局長は同期でたいへん仲が悪い。
その間を、素早いスピンターンを駆使して往復する。
いがみ合う両者の承認を無事取り付けたら、
次は業務推進本部長のもとへランニングマンステップで駆けつけると、
長い愚痴をリズミカルな相槌で切り抜ける。
その姿はまるで頭のアイソレーションのようだ。
ついに承認を取り付けた山本は、
素早いステップバックからのサイドウォークで
滑るように社長秘書のもとへはせ参じ、ご機嫌を伺いながら、
隙をみてブロンクスステップからのウインドミルで書類を手渡し、
見事、承認をゲット。
ここぞの大技で、影で糸を引く大物を攻略したら、
あとはキレのあるシャッフルステップで
社長のイエスマンたちを魅了するだけだ。
こうして山本は、承認権を持つ人々の中で鮮やかに踊り続ける。
行って来い、行ったり来たりは日常茶飯事、
大切なことは、とにかくステップを止めないこと。
あっちへこっちへと淀みなく立ち回ることこそ、わが職分と自覚している。
そうして踊り続けるうちに、承認を得るというプロセスは目的化され、
ステップは複雑化し、スキルは研ぎ澄まされていく。
そして、プロセスの結果として何がもたらされるのかという、
本来あったであろうゴールは連続するムーブの中に溶けていく。
オフィスフロアをダンスフロアに変えながら山本は今日も踊り続ける。
パフォーマンスが続くステージの幕も、
社としての最終承認も、まだ降りない。
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出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属