「約束」
ストーリー 磯島拓矢
出演 阿部祥子
今の彼とつき合い始めて気がついた。
前に同棲していた人が、約束好きだったこと。
「今日夕飯おねがい。明日、私やるから」そんな私の一言に、
その人は必ずこう言った。
「約束だぞ」
「明日まとめて洗濯するよ~」という私の言い訳にも、こう返してきた。
「約束だぞ」
それが嫌いで別れたわけではないけれど、こうして思い出すということは、
それなりにストレスだったようだ。
確かに、別れ話は私からした。
「寂しくなったら、連絡するかも」別れ際の挨拶にも、彼はこう言った。
「約束だぞ」
もちろん、その約束は守っていない。
「明日まとめて洗濯するよ~」私の言葉に、今の彼はこう返してくる。
「わかった」。以上。
約束というのは、つまりは言質を取る、ということなんだなあと改めて思う。
前の人は、言質を取ることで、ちいさな安心を積み重ねていたのだろう。
今の彼は、言質を取ることで、互いに縛られてゆくのが嫌なのだろう。
どちらが正しいということではない。
今の私には、今の彼が合っているということだ。
彼は本当に約束をしない。
「約束を破らない唯一の方法は、安易に約束をしないこと」
これは今私がつくった教訓だが、彼のスタイルを言い当てているかもしれない。
「約束をするのはたやすい。約束を覚えておくのが難しい」
これも今私がつくった教訓だが、ん~ひょっとしたら、こっちかもしれない。
約束というのは、確信犯で破られることは少ない。
約束を忘れてしまうことから、多くのトラブルは生まれている。
どうせ忘れちゃうから、約束はしない。
彼がそう思っているとしたら、なんと不誠実な態度だろう。
そんな不誠実な男と、私は来週結婚する。
当然のように「君をしあわせにします」みたいな約束はなかった。
家族に紹介した時も「娘さんを大切にします」みたいな約束はなかった。
両親は気にしてなかったけれど。
彼が「しあわせにします」と言わないのは、
「安易な約束はしない」からなのか、
「そんな約束きっと忘れちゃう」からなのか…。
こんなことをあれこれ考えてしまうのが、マリッジブルーというものなのか。
でも私は、前の人に電話しようとは思わない。
来週私たちは式を挙げる。
例の「病める時も健やかなる時も、愛し敬うことを誓いますか?」の儀式をやる。
そう、人生最大級の約束だ。
彼は一体どうするのだろう。
さすがにここは誓うのか、それとも、ここでもいつもの無表情で流すのか。
ちょっと、ドキドキしてきた。
ひとつ、決めていることがある。
「愛し敬うことを誓いますか?」牧師が私に聞いた時、
すぐには答えないことにする。一拍おいてやろうと思う。
そして、彼の顔をのぞくのだ。
私だって安易な約束はしないよ。
忘れちゃうような約束はしないよ。
それを、彼に伝えてやろうと思っている。
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出演者情報:阿部祥子 連絡先ヘリンボーン https://www.herringbone.co.jp/